過剰な熱量

2015年、つまり今から9年前に Facebook に少し書いたものを見つけた。ここに再録しておく。


高校以来の友人の投稿でちょっと感じる事があった。 つまり僕らは高校生当時にアニメーションを見て「これなら自分の方がうまくできる」と勘違いした。でも今のとても質の高い作品を前にして、果たして僕らはあの頃と同じように「勘違い」して挑戦しようと思うだろうか、という、そういうこと。

僕は実際のところ今のアニメーションをほぼ見ない。それでも断片的に見るそれらが僕らが若かった頃とは一線も二線も超えていることは感じる。 そして昭和四十年代の仮面ライダーなどを今見返して、その余りの乱暴さにめまいを覚えたりもする。 ガイナックスの人たちが飛び抜けたパワーをその衝動から引き出したことがどうしても自分たちと重なって見えて仕方が無い。

(僕は高校・大学生だった頃にまさにそのような動機で大量の勘違いをして、たくさんの事に手を出したのです。要するに極度のアホで、これ僕の方がもっとうまくやれる、と思い込んで、絵(イラスト)を描いたり、文章を書いたり、映画を作ったり、写真を撮ったりしたのです。ラジオ放送なんかにも手を付けて、その関連で音響・録音のことをかじったり、、、ほんとアホでした、、、)

簡単な入り口が必要だ、とは常に思うことだったりして、その意味で完成度がそれほど高くない(粗くてもとにかくそれなりに機能する)入り口を僕らはもっと捜さないといけないのだろうなあ、と改めて思った次第。(職業的な面と、自分の子供たちに関して)

ただ、懐古趣味的にならず、いまどきのことで、そのような味付けをしなければ、と思う。 僕らだって恐らく 20 年前の世代などに較べると世界の完成度は高まっていたはずだ。(ファインマンの物語などを読むとつくづくと思う) だけど僕らは道を見つける事ができた。時間を戻さず、今の時代に合った道を見つけられるはずだ。

今の僕を形作ったのはあの頃の過剰な熱量だけだ。 (2015.2.14)



Yutaka Yasuda

2024.02.15