Yogi's 550 F

ポーランドの Yogi さんから写真とエッセイを頂きました。


私のバイク・アドベンチャーは 1999 年に始まります。 17 歳の頃、中学校の裏に金工所(metail shed)がありました。 そこでは何かを分解していて、中には古くて、完全じゃないバイクが転がっていました。

そこでいろんなメカの修理などを見て過ごすのが楽しく、ただそれだけの理由でそのバイクを欲しくなりました(実際彼らがそれらを面白い、エキサイティングなものだと思わせることはできなかったでしょうし)
それは 1961 年のポーランド製 2 ストロークの単車でした。 私はそれに何ヶ月も掛けて、無くなっていたパーツを揃え、エンジンを組み直したりしました。 最終的に動くようはになったのですが、面白くなくなってしまって売ってしまいました。 何となればシート、ヘッドライトをはじめ、まだ足りないところが幾つもあったので。 塗装とメッキもかなり悪い状態で、それを直す気にはなれなかったのです。 何しろ予算と動機が足りなかった、、合法的に乗れる見込みも無かったし(書類なし)。
その頃、私はテレビで MotoGPレースを見始め、バイクに関する見方が完全に変わってしまいました。バイクが一番熱中するものになってしまったのです。
当然一台、自分のものにしたかったのですがお金がなく、免許もありませんでした。
また新しく勉強を始めたところでもありました。
幾らか良い話というと、夏休み(三ヶ月)にバイトをしたことくらいですが、時間とお金は同時に手に入りません。そしてもちろん、私の両親は単車について反対で、彼らからの援助などは諦めなければなりませんでした。
それでも最終的に頑張って節約し、私は免許を取ることが出来ました。 そして自分のボロ車を売る決心をしました。こいつは私の成績優秀者奨学金をまるまる食いつぶした奴なのですが。

その夏の終わり頃、バイク雑誌の広告を集めるのに飽きた私は、一番安い 4 ストロークを捜していました。
そこで見つけたのがこの Honda CBX 550F でした。 20年も前なのに、このシェイプ!一目惚れして、この魔法のバイクについてインターネットで情報を探し始めました。
たくさんある革新的で豪華な仕掛けが気に入りました。今でもあまりないですね。
私があちこちのバイクフォーラムを回っているあいだ、私は二人の CBX オーナーと会いました(ネットで)。 そのうちの一人から、非公式ですがポーランドのCBXファンクラブ(残念ながらもう無くなりました。再開すると良いのですが)があることを知り、もう一人から今の私のバイクを買いました。
彼からは一つ頼みを受けました。秋だったのですが、先に彼に送金して(彼は信頼できる男だったことを書いておきます。そして彼はそのお金が必要だったのです。)、彼は春先には輸送の手だてを整えると約束してくれました(彼はポーランドの反対側に住んでいたのです)。 我々はその何週間前には既に良い友達になっていました。 さらにもう一台、同じCBXが、ただしもう少し悪いコンディションのものが部品取り用についていました。
私がすべきことはただ待つ事だけでしたが、この待つって事はいつだって最低のことでした。
もちろん私はジリジリしていました。私のCBXについて、写真や、もっと細かい情報を尋ねていました。私は「どんなことでも」集めていました。写真、記録、記事(ebay に出た部品の写真でさえ!)などなど、その冬いっぱいです。

ついに春が来て、この話は第二幕となります。。。
「Puma」と呼ばれる安い輸送網を使って、彼はバイクを二台、約束どおりに送ってくれました。 その日私は世界で一番幸せな男だったでしょうね。 そのバイクはとても美しく、完璧な黒・赤・白パールに再塗装されていました。まるでオリジナルのように。
彼は約束から何も外れず、オイル他もちゃんとしてあり、すぐに走れる状態でした。

私はオイルレベルをチェックするためにスタンドを立てもしなかったくらいなので、とても彼を信頼していました。 一つだけおかしかったのはリアタイヤ圧くらいですが、それはすぐに直して、まず道路に出しました。 エンジンの挙動が若干おかしく、ときどきストールして一度か二度、交差点の真ん中で始動に手こずりました。 最初に30キロほど走って家に戻りましたが、次の時にはシリンダーが一本動かなくなりました。 ホントのドラマみたいで大笑いしました。 随分時間を掛けて調べてなんとか直しましたが、最後にオイルレベルを確かめたとき、メーターがずいぶん曇っていたことがわかりました。 何度か乗っている間にエンジンは徐々に煙を吐きはじめましたが、その煙は青でした。つまりあり得る説明は一つ、オイル上がりです。 しかしエンジンが熱くなるとその煙は消えて、まあまだ走れていたわけです。 5000 回転ほどになると、奇妙な、かつ嫌なノイズと壊れる感じがしはじめます。
私はこれはメインチェーン(すぐに交換することになりました)だと思ったのですが、実際には違っていました。
そのシーズンは、ガールフレンドの家から戻ってくるときのスライドで終わりました。私はミラーを一つ、方向指示器をなくし、またタンクを少しへこませてしまいました(このクラッシュで幾らかハンドルバーが中心から外れましたが何とか直して家まで帰り着きました)。

冬の間にクランクケースを分解し、ピストンを磨いて、クランクシャフトベアリング(先に書いたように傷んでいました)を修復しました。ヘッドもバルブガスケットとともに新しくしました。

残念なことに、春になるとエンジンの煙は以前よりひどくなっていました(やはり冷えている間だけですが)。アイドル回転数を安定させることも難しく、これでは快適な運転とは全然言えないうえにギアボックスまで悪くしかねません。
それでもクランクケースをパーフェクトに見えるまでに組み直すと、このノイズはそれきり再現しませんでした。クランクシャフトベアリングのせいだったに違いありません!!!
最終的に私は Honda のサービスに行くことにしました。彼らは非常な高額を使っておきながら、結局この煙と回転の問題については何も出来ないと言うだけでした。キャブレターの状態が悪く、調整が利かないと。 彼らがまるでアマチュア同然なのにショックを受け - というのも彼らはコンプレッションを測ってこれでOKと言うだけで、何が理由でオイルを消費するのかノー・アイディアなのです。
彼らは圧縮が良好なのはリングの状態が非常に良いことを意味すると言いました。私はオイルがガスケットのように働いて圧縮を上げているのだと思いますがね。

その年(2007)は二回、せいぜい50Kmほどしか乗れませんでした。もうギブアップしてしまい、このCBXはパーツとしてバラバラに売る決心をしました。が、しばらくしてこのアイディアを振り払って(神様ありがとう!)、このCBXは時期を待つために完全に分解されました。しばらくして私はもう一台、ベアリングの壊れた CBX を買いました。このピストンとシリンダが使えればと思って。しかしピストンリングはきれいに回らない状態でした。一つは動くのですが他は全くでした。

その後、私はまた別のシリンダを、完全なピストンと一緒に買いました。
ただ残念なことに 2008 年の夏は他にやることがたくさんあり、それらを片付けた時にはエンジンのことをやるにはちょっと消耗しすぎていました。そこで診断と調整のためにエンジンをマウントするためのカートのようなものについて考えていました。理由は二つ、まずとにかくエンジンは重くて倉庫から庭に出すのも大変なのと、それから CBX のフレームはとても窮屈で、エンジンに補器類を全部付けてマウントして、なにかを見ようとするとまた外すことなってもう悪夢なのです。そこでスペアフレームの下半分を切り落として、あとはがっしりしたカートと、エキゾーストに干渉しないスタンドのアイディアさえあればいいわけです。(実際マフラーは隣人のためにもどうしても必要なのです)

さて、私はいま春を待っています。今度こそ全てをちゃんとしてやるのです。
あと、他の CBX オーナーからのコンタクトを待っています。特にヨーロッパの。
Happy New Year 2009 to all of you and see you on the road!

Krzysztof Zaluk a.k.a. Yogi

(jogi997@o2.pl)
Oct, 2008


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