神話はまだ生きているか

ひところ僕は随分神話の本を読んだ。主にギリシアの神話のものだけれど、それに釣られる形で北欧やケルトの神話についても読んだ。結構何冊も捜しては読んだ事を憶えている。これが高校生の頃の話で、それから暫く時を置いてから日本の神話を読む気になった。そこで「日本の神話と宗教」なる一般教養科目を選んで古事記を読み始めた。しかしこれは途中で挫折し、中つ巻の半ばで止ってしまっている。この頃旧約聖書もヘブライ人の神話として読んだ。ゲテモノ的にマヤ、インカの神話も読んだりした。

悲しいかな僕は全く宗教的関心、信仰を持ち得ない。結婚式も葬式も彼岸の墓参にも何ら重要性を感じていない。その僕が何故神話などに興味を持つのか?結局のところ、民族に伝承される民話としての神話に好奇心を抱いているに過ぎない。そういう目で日本の神話を眺めると、結構血の臭いと背も凍る狂気に満ちていて、これはもうホラーだ。英雄譚は血で彩られるのが常だが、それでも衝撃的だ。

丁度今から半年位前に僕は鞍馬の火祭りを見た。祭りは深夜におよび、真っ暗な夜の中にかがり火が焚かれて、街道は異様な雰囲気に包まれる。集落の人達が打ち込む太鼓の音がどろどろと低くあちこちから聞こえてきて一層怪しげだ。そして仏教とも神道とも明らかに違う、おどろおどろしい祭神が幾つも飾られる。それは最後には数メートルの杖の上に奉り上げられて次々に由岐神社へと吸い込まれて行った。今から千年の昔、この国に満ちていたかも知れない呪術的世界を想像せずには居られない。

ところで古代の神話には大抵世界の始まりについての記述が含まれている。この世界はどこから来たのか、我々人間は一体何なのか。不思議な事に各民族それぞれの世界の始まりには非常に似通った記述が散見される。何故か?我々人間の想像力は非常に貧困で、自分自身を納得させられる答をせいぜい数通りしか見付ける事が出来なかったのか?それとも全ての神話はどこかでつながれているのか?

では現代の世界観、世界の始まりについての認識はどうか?我々は盆の上に住み、その盆は亀の背に載って、その亀はまたもう一回り大きな亀に乗っているなどと言う中世的世界観を今は誰も信じない代わりに、この世界は非常に密度の高い物質の爆発から始まり、全ての物質や光さえもそこから生まれたなどという仮説に代表される宇宙論が脚光を浴びている。どの程度これらの仮説が一般に受け入れられているか知らないが、いつかはこれらの仮説が、一般的認識として普及するのだろう。

他にも普及した仮説はたくさんある。生物の中に遺伝子があって、生物の全てを記述していると言うものもある。我々がサルから進化したと言うものもある。誰も見た訳ではない。真実かどうか保証の限りではない。しかし皆が信じている様だし、我々の世界観の骨格の一部を成している事は確かだ。

どうやら我々は古代の人々から全く進歩していない様だ。彼の頃、人々はそれが正しい答かどうか判らずに闇雲に神話を真実として受け入れた。今から見ればこっけいですらあるが、我々だって科学者の言う事を盲目に信じているのだから彼達を笑う事は出来ない。本質的には何も変わっていない。古代人にとっては神話が科学だったのと同様に、現代人にとっては科学が神話なのだ。そう言えば現代は科学の時代だと言ってた評論家が居たな。確かに科学者は仰々しく白衣など着て得体の知れない機械を操作して、皆が彼達の言う事を有難がる。これを呪術師と言えば正にその通りじゃないか。

'91.5 Yasu.


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