僕の子供の頃を知っている人は、僕がどれだけダメな子だったか充分に知ってくれてると思う。(僕は京都市北区の地域で育って、いまもその近くに住んでるし、小学校二年生くらいからの付き合いの友達も居て、それらすべての地縁というか経緯を嫌ってない。ありがたいなあ、と思ってる。)
トシを食って徐々にマシになった、というのが僕自身の感覚だったりする。高校がとても解放的なところで、そこで僕自身も随分解放されたと思うのだけれど、ともかく二十歳か、それ以降に僕を見た人だけが、いまの僕の対外的な感じと連続性が感じられる、、かな、とおもうくらい、僕の十代までは極端な感じだった。いまなら何らかの発達障害なりの診断が出てても不思議で無い、と、思う。まあ素人の所見だけれど。
なお僕は八歳くらいまで記憶がなくて、だからそれ以前の友達?というのが居たかどうかすら何も分からない。よく遊んでた子がいるらしいことは周囲の人から聞いたけれど、例えば十歳の僕にはもう判らなかった。 ともかくコミュ障どころでは無かった。いま、場面性緘黙症(かんもくしょう)という語で検索すると出てくる状況・状態に(自分では)一致していた、と思える。
ともかく、僕はそう言う状況で、大学に入るまで、僕自身には社会的な価値が無い、という恐怖に囚われていた。つまり僕は親の庇護がなくなったら、社会的には死ぬ、経済的には死ぬ、と思っていた。食えなくなって(レトリックではなく物理的?に)死んでしまう、と思っていた。強迫状況にいたと言っても良い。
だから僕は大学に進学するときにはもう、どうやったら自分が死なずに済むか、を(死にそうな気分で)考えていた。
死亡宣告はそれ以前に何度も受けていたつもりだった。
僕自身、ひどい家庭で過ごした(と認識していた)ために、今の自分の家庭と同じような(とりあえず極端にひどくない)家庭を持てる、あるいは持ちたい、などという、ある程度普通なはずの感覚は僕には全く無かった。
自分が死なないで済むかどうか、だけが問題だった。
大学進学時には、それだけが問題だった。
ウソつけ、と思われるかも知れないので少し書いておくと、僕は(そもそも頭が悪いから)大学進学に失敗したときの事を考えて、公務員試験を受けていた。行政職だったと思うが、一応合格して、大学に落ちたら、市役所でもどこでも、自分の能力と関係なく雇用されて、死なない程度に給料が貰えるような状況を確保していた。その上での大学受験だった。
だから大学進学時の進路選択は、それまでに自分がトライしていた中で、最も他者に対して社会的・経済的な競争力を持っていそうな分野・方向性でしか考えられなかった。僕が情報系に進んだのはそのためだ。中学から電子工作、高校でプログラミングなどに突っ込んでおり、これだったら何とか自分に勝ち目があるだろう、と思ったからだ。
大学進学後も、就職してからも、自分の社会的価値を高くしなければ自分はあっという間に路頭に迷って死んでしまう、という恐怖感が強かった。 (自分にとってガマン出来ない状況で働き続けることがどうしても出来ない、という自覚も強かった。一つの仕事を十年といった長さで続けられるとも思っていなかった。だから辞められる、つまり転職可能な状況を確保しなければ結局死ぬ、と思っていた。能力は無いのに、その自意識だけは高かった。)
だから僕は三十歳になるまで、自分が持てる殆どすべての時間とカネを、自分の能力が上がる方向に突っ込んだ。大学出て一年経ってからずっと一人で暮らしたけれど、ホントに自分のために、持てる時間の殆どを、実に多くのことに突っ込んだ。社内でもかなりおかしな奴だったと思うけれど、最低限排斥されることはなく扱って貰えたのは助かった。居場所があったから。
ただ、それでもともかくずっと一つのことを思い続けていた。
つまりそれは、強くなるんだ、ということだった。
三十歳くらいまで、とにかく自分がこれだ、と思う領域の技術分野で、ただ、(周囲の)誰よりも強くなるんだ、ということだけを追いかけていた。その腕力が僕自身を社会的な、経済的な死から救ってくれる、と思っていた。
今日、学生の一人に僕は「強くなるんだ」と声を掛けた。
周囲のことや、未来のことは何も考えなくて良い。ただ、強くなれば、それが自分を救ってくれる。
そう思っていた二十代の頃を思い出したから、思わずそう書いてしまった。
けれど、彼は僕のような絶望的で、自己強迫的な毎日を過ごしていないと思える。あまり良い助言ではなかったかもしれない。。。。
もう一点。
僕は小学生の頃から何かしら作り続けてないと死ぬ、と思ってたところがある。自分の体か精神を削り出して、何かを外に出し続けなければならないし、それが出来なくなったときには死ぬ(生きている価値が無くなる)、と思っていた。
ただこれ、小さいときは良いけれど、トシ食うと苦しい。
僕の知人で、トシを食っても本当にそういう状態の人が居る。僕は(幸いなことに)その傾向がそういう本モノの人たちほど強くなくて、三十歳くらいでは割と普通の人になっていた。助かった。
こういう気分は、同じような経路をたどった人にしか分からないだろうと思う。
そんな自分です。
2018.07.02