8 days later of Trump

今後も今の米国の状況について share なり post なりする事があると思うので、一度僕の視点を書いときます。 (ホントはもっと時間を掛けて、ちゃんと書きたいのですが(一度出したものは戻せないから)、何しろ Tump 大統領就任 8 日でえらく多くのことが起きてしまって間に合わなくなりそうなので、不安が残りますがとにかく書いてみます。)

総論

まず僕は政治的関心はほぼありません。にもかかわらず Trump 氏の行動に懐疑的な視線を向けている(もう少し踏み込んでイヤな印象を持っていると言っても良い)のは、それが高校生の頃などに歴史として学んだ二次大戦の頃の状況をどうしても想起させるからです。つまりそれに対する懸念を表明しているのです。

この僕の感覚に対して、ナチや日本の軍部と Trump はこの点で違う(から懸念はない)、といった部分的な指摘は可能でしょうが、恐らくそれらのほとんどすべてに対応するような部分的な懸念すべき事項もまた挙げられるでしょう。
そこで言い合い(押し合い)して是非(シロかクロか)を(狭い範囲で)決めたいわけではありません。それは歴史が出すはずです。
ただ僕は、今、歴史が変わる過程を僕らは目撃しているのかも知れない、と思っているだけです。だから見て、記録しておかなければ。できるだけ理解を試みて、今の自分の判断を書き残して、後で見直さなくては。と思っています。

もちろんボンヤリそんなことを言いながら SNS に書く(=周囲の人たちと議論する)だけでは弱すぎるかもしれません。三度めの世界大戦へと踏み外さないためには、いま、こんな僕でも政治活動に身を投じるほかないのかも知れません。僕自身どの程度関与すべきなのか実際のところ判断つきません。
判断つかない事を理由にボヤいて終わり、必要になったらまた考えよう、と言うのはまるで締め切りが近づいてから慌てて卒業研究を進めようとする手遅れ学生と同じで、ゆるやかに自殺しているだけかもしれません。僕には分からない。

是非を争う議論に対して

僕の post や comment は上に書いたような視点で書いたもので、そこで是非を争うような押し合いには興味ありません。しかし SNS やニュースの場では、そうした議論が多くあります。それ自体無価値で無いとは思いますが、何というか歪んだ論理構造になっているものが多く、イヤな感じがします。もっとまともな議論を積んだ方が良い。

例えば中東など幾つかの国からの入国を(一時)停止する大統領令に対して様々な反応が出ています。僕が「なんだこれは」と思ったのは、それが余りにも短絡的な措置で、丸見えの誤りと副作用が出ていたことです。違法な移民を、またテロリストの入国を阻止する意図だと言う割には市民権あるいは永住権をもつ、違法でないはずの移民まで阻害されている。

これは僕にはもう少しマトモに検討して実施すれば抑えられた副作用と思えました。しかし Trump を評価する?擁護する?人たちは、そうした負の影響を受けた人たちが居る事より、総体として違法な移民を阻止できる方向に進んだことを理由として肯定的に説明する事が多いようです。なぜ、乱暴なオペレーションによって普通に抑えられたはずの副作用がバチバチと激発することに鈍感なのでしょう。
単純には自分に実害がないからでは?あるいは被害を受けた人が少数だからでは?と想像してしまいます。

しかしこれは僕に Martin Niemöller のセリフを想起させます。僕が冒頭に挙げた懸念そのものです。

“Then they came for the Jews, and I did not speak out - Because I was not a Jew.”

また、「目的が正しければ少しの犠牲はやむを得ない」あるいは「結果のためなら手段は正当化される」という考え方は、そのままテロリストの論理とも思えます。
そしてもっとひどい疑念を僕は抱いてしまいます。Trump のこのアクションを歓迎している人たちは真に「違法な移民」を減らす方向に進んだから歓迎しているのではなく、単に「移民」が減ることを喜んでいるのではないか、という疑念です。更に Trump は、より多くの支持を得るために、わざわざそのようなどす黒い(少なくとも公正で無い)心情をかき立てるように仕掛けていないか、とも思ってしまいます。

幾つもの Trump のアクションに対して、共通に上のことを感じます。余りにも一貫していることが、さらにこれが仕組まれたものである、という疑念を膨らませます。僕のこの歪んだ推定について、それが誤ったものであるか否かを議論したいとは思っていません。確度の低い言い合いになるでしょうし、やはり歴史が明らかにする性質のことだと思うので。僕自身、この歪んだ推定を膨らませる自分がイヤでしょうが無い。詰まらない。クダラナイ。

どうか

どうか僕の周囲の人たちは、そうした乱暴な論理に振り回されたり、どす黒い部分を扇動されることがありませんように。僕自身も、短絡的な議論に負けずに考え続けて、記録し続けていかなければ。

以上、ここしばらくの僕の post や comment の視点に関する説明として。



Yutaka Yasuda

2017.02.01