A先生のこと

A 先生の訃報を聞く。90歳手前とは言え、残念。
覚えていることを(例によって)少し書き連ねていこうと思う。

A 先生は僕の居た学科の先生だったので、研究室を覗いたことも幾度もあるし、専門科目を直接習ったこともある。
また、他に馬術を教えておられ、僕も一回生のときに受講した。あと、僕はそのまま大学のシステム管理者になったので、学内ネットワーク関連や授業運営でのトラブル対応などで、何度も研究室や授業にお邪魔させていただいた。

とりあえず強烈な印象として残っているのは(やはり)その怒号。厳しい先生で、受講生が教室で無駄話でもしようものなら教壇から一喝されていた。割れ鐘のような、というのはまさにこれか、その通りだ、と思った。

身がすくむ。逃げ場がない。

それもまず「貴様!立て!」ではじまる。しまいに「出ていけ!」「恥を知れ!」と言われてしまう。それでも二三年上の先輩方は皆口を揃えて、俺らの時はもっとキツかった、と言われる。どんなだったのか考えられない。

ちなみに、当たり前のことだけれども、たまに先生も間違える。つまり違う人を指して「貴様!」と言う時もある。もちろん言われた当人はそこで口応えできるはずもなく、威力に負けて言われるままになってしまう。 隣か、その後ろでか、本来立たされるはずだった学生にしても、それは違う、悪かったのは自分である、と言い出すことはなかった。

というか怒れる A 先生を前にそんな堂々とした振る舞いが出来るような奴は私語なんかしない。コソコソ隠れて喋るような奴はどうせ小物である。(とか言ってみる)

あれは本当に怒っておられた。

叱っている、などというような生やさしいものではなく、怒っていた。そうでなければ聞かない奴だってたくさんいるから、というかどうせその歳になって私語で叱られるような奴は言っても直るわけがない。相手が感情的になっている、ということが分からなければ言うことが聞けない、という奴はいるのだ。

だから僕は感情的に学生を怒鳴りつけることに否定的でない。僕自身はそういうことができないので、どうしても理屈で学生を追い詰めてしまう。良くない。怒鳴ることよりも互いに残る傷が深い。

なお、僕も間違えて怒鳴られたことはある。専門科目ではなく、馬術の実習(体育)で。馬術は当たり前なのだけれど、まず延々と引馬(ひきうま)をして慣れることから始める。かなり慣れると鞍に乗せて貰えるのだけれど、それも馬がゆっくり歩く上でバランスを取ることから始める。馬上体操とか言ったような気がするけど、違ったか。
で、そのとき、姿勢が悪い、と思われて思い切り怒鳴られた。何十メートルと離れた馬場の反対側から縦列で十頭以上も歩く馬列のなかにいても、自分が怒鳴られている、ということがわかるのだから恐ろしい。もちろんよそ見なんか出来るはずもないのでまっすぐ前を見た状態で、横から怒鳴られて自分だと認識するのである。なんという超指向性の怒号であるか。

その時僕は背筋が曲がっていたわけではなく、僕の着ていた服(トレーナー)がそのように見せていただけなのだけれど、もちろんいえこれは服のせいですと言えるはずもなく、無理矢理に背をもっと反り返らせる事しかできなかった。その時僕の馬を引いてくれていた恐らくは馬術部員であろう三回生あたりのお姉さんが「服がそう見えたのかしらねえ」となぐさめてくれていた。多分そう言うことは良く良くあったのだろうと思う。

こういうのを不条理だとか言うてはいけない。

絶対に間違えないようにしていたのでは、カラダに直接効くような指導はできない。結局はトレードオフの問題なのだ。損失(リスク)をゼロにすることに執着すると利益が無くなる。もちろんおおかたの指導が間違いで、大部分の教員がそのようであれば問題だが、間違いの率がそう高くなく、そのような教員が少数であれば、そうした多様性はむしろあるほうが自然だし、あった方が良い。
ん?問題、ではないな。それが多すぎるとちょっと困るが、かな。

でも、普段はとても穏やかで、快活に笑われる先生だった。あーっはっは、と、いうあの声が今でもそのまま耳によみがえる。大事なことだと思う。

研究室にはレコードプレイヤーと、大きなアンプ、スピーカーがあり、クラシックがお好きだった(と思う)。電子ピアノもあって、たまに弾かれていた、というような話を上回生から聞いたと思うのだけれど違うかなあ。低俗、無教養な僕からすると、そのような面も含めてとても魅力的な先生だった。自分はとてもそのようになれるはずもない、そういう意味で遠い世界の人でもあったのだけれど。。。

他にもたくさんの伝説を先輩方から聞いた。(ほぼ)厩舎に住んでおられた(これは本当)ようなもので、馬に関することが多かったと思うのだけれど、書くと減りそうな気がするのでここには書かない。
あと、酒に関する恐ろしい話も幾つか聞いたのだけれど、やはりここには書かない。

僕が仕事を始めてよくお話させていただくようになった頃にはもうアルコールはドクターストップが掛かっており、毎年の忘年会などではコップに水を入れておられた。A 先生であれば当然それは酒だと思った周りの人がたくさん注ぎに集まっていたけれど、先生は医者に止められてからワシはずっとこれじゃ、と、笑われていた。

あーはっはっは、と、笑われていた。
そんな A 先生のお話。



Yutaka Yasuda

2012.09.07