あの頃僕は何をしてたんだろう。
と思ったので例によってつらつらと書く。
大学卒業するすぐ前の夏休み。待ち続けていた Sun
ワークステーションが来た。140MB
もあるハードディスクが付いてた。140万円。ディスクがね。
そして LaserWriter がついてた。その品質に衝撃を受け、PostScript
にかじりついた。目で見て手でコーディング。pop
とか直接書くのだ。そしてこちらも100万円超。
なんちゅう高価なオモチャだ。
モデルは Sun3/60。四台入ったけど二台だけディスク付き。二台ディスクレス。そこへきて Smalltalk-80と Unify (RDB) と NeWS 入れたもんだから、ディスクは相互マウント、起動は微妙に要手作業、誰か二人くらいが重い仕事したら止まる(というかTSSラウンドロビンがそろそろ見える)という状況だった。貧乏ってステキ。
卒業チョイ前にNEWSが入ったのでX11ちょっとだけ使った。使いにくいなあ、と思った
SunView ユーザ。一番好きだったのは NeWS。PostScript 大好きだった。
その前は OMRON の Supermate に VT52/VT100/LA120
たくさんつないでガリガリ使ってた。Prolog とか。 でも実は最初の C
言語は汎用機だったりする。M180II-ADのOS IV/MSPで C だよ!
ワークステーションや汎用機を使う一方、ちまちまとセコいことも続けてた。たぶん三回生の学園祭に出したのは
VIC-1001 で電子ピアノを鳴らすデモ。61鍵あるピアノのキーボード配線が8x8
マトリクスだったので8bitラッチを8階建て基板で8並列接続して、VICの8bitパラレルポートにつないで鳴らした。
最終段を OR
でつないだので人間が手で鍵盤演奏してVICで伴奏ができるというオマケつき。1MHzの6502では遅いのでニモニックで書いてハンドアセンブルした。
バカだ。
ところで汎用機は高校生の頃から使ってた。同じ
M180II-AD。西京高校にあった。普通にFORTRANとかで書いてたんだけど、何を思ったか
XY プロッタがあったので、それで絵を描くのに熱中した。
ロール紙にボールペンで絵を描くのだけれど、座標を間違えた時に、その座標が運悪く紙がある位置だとびゅーんと何メートルもロール紙を無駄遣いしたのは申し訳なかった。
描いていたのは本当に絵。ただの絵。マンガのキャラクターの絵。方眼紙に描いて座標点をひたすら手で拾って。何千点と拾ったと思う。
しまいに目の中とか濃淡が欲しくて、線描しかできないもんだから無理矢理 1mm
間隔で線を引きまくって色付けした。徐々に間隔を広げて濃淡つけたりして。
そして量産して文化祭で配った。延々とただキャラクターを描き続け、CPUとロール紙とボールペンと実習時間を無駄遣いしていた僕らをようほっといてくれた。感謝。。。
大学に入る頃だったか、ラインプリンタがドラムハンマー式からレーザ式になり、プロッタエミュレータを使ったグラフィクスライブラリで線描が出来るようになった。
もちろん大量に貯め込んだ座標点データを使って、今度はレーザプリンタでマンガのキャラクターの絵を大量生産、、、
つける薬がない。。
大学では調子に乗ってこのライブラリを使って自分用のカセットレーベルを印刷してた。当然レーベル作成用アプリを作って。
英数字、漢字が印刷できたんだけど、アルファベットがノンプロポーショナルフォントで漢字幅に合わせて出てくるのが許せず、自分でプロポーショナルにした。つまり一文字出す度に適切な幅の分だけ左に少し座標点を戻す。Strawberry
Fields Forever
と僕のライブラリを一行呼び出すと、内部的には文字数分だけライブラリコールが発行される。
おかげでレーベル何枚か印刷しようとしたら汎用機のCPUが金縛りになるという恐ろしいアプリだった。TSSの反応が止まるという。
(IBM系汎用機の悪い癖でTSSのプライオリティが低すぎ、僕らの使っていたバッチ処理のジョブクラス優先度が高すぎた)
あの頃のみんなごめん。止めてたのは僕だ。
なおそのためにマンガ絵を描く練習をした、という話もある。
それはともかく高校生の頃は文章も少し書いてた。全く意味のない、下らない文章。みんなやるよね。。。
仲間内で書いて、仲間内に配る。毎回の編集・印刷・雑用を僕がやってた。インスタントレタリング貼ってたのが懐かしい。
この表紙も結局マンガ絵的に自分で描いてた。例えばこれ。
http://bakkers.gr.jp/~yasuda/picture/kagami.jpg
(下に透けてるのは後輩が描いたもの。彼は現在ほんとにデザインとかアニメ関係の仕事をしてる。)
その後輩氏につきあって映画も撮った。なんと16mmフィルム。壊れかけのSCOPICを無理矢理動かして勘で露出測って撮った。編集機もなければカットして捨てるほど金もないので無編集一発撮り。
(これも大学生の頃の話。高校では8mmカメラを借りて少し遊んだくらい。)
その後輩に付き合ってマンガ描いたりもしてたけど思い出したくないくらいダメダメ。のでこれ以上は書かない。
あとなぜか流行っていたミニFM局を高校内でやろうと言い出して、実際昼休みに流していた。なんであんなことやろうと言い出したんだろう。ほんとバカだ。。。。
そのせいでミキサー通して録音などいろいろやった。教えてくれた先輩はいまでもホールの音響やってる。思えばこの人から八の字巻きを習った。
話は中学の頃にさかのぼる。中学ではほとんど何もしていなかったと思うけど、ただ電子工作はやってた。つまり半田付け。論理回路を組む。
TTL IC
とかディスクリート部品で何かしらオモチャを作る。電子サイコロとか、そういうの。マジック、テープでパターン作って、感光基板に焼いて、エッチング。Sanhayato
ですよ。
大抵は何かに書かれたものを作っていたのだけれど、最後の方は自分で回路を起こして作った。ただ、動作はしたのだけれど、詰まらない、という問題があることに気付く。つまり意味のあるものを作るのは想像を超えて難しかった。
その意味で中学三年の時に8bit マイコン(VIC)を買い、スイッチオンBASICでちょちょっと書いたら目に見えるものが動いた、という衝撃はとても大きかった。ソフトウェアってすごい、と。
小学校のたぶん後ろの方から、中学生の頃までよくやっていたのはタミヤの工作キット。マブチモーター使って、ギヤボックス組んで、何かしら動くものを作る。
これはあっという間に自分で適当に作るようになった。そういう自由度があるオモチャって今あるんだろうか。
(子供に何かしらやらせないと、、DS でコンテンツ消費に頑張ったって滅多にいいことはない。いや、ほんとにゲームが好きで、ゲーム作ってる卒業生もいるけどね。いまでもたまに会う。でも滅多に見ないし、彼はゲーム以外にも作りたいものがしっかりある。)
小学校の頃のことは実はあまり覚えてない。シャーロック・ホームズとか怪盗ルパンとかたくさん読んだなあ、くらい。少年探偵団も。毎日毎日人が殺される本ばかり読んで、こいつ将来どうなんねんと思われたかも知れないが、運良く僕には殺人衝動などは無い。どこかにあるかもしれないけど僕に見えるところには出てきてない。よかった。
なお8歳くらいより昔のことを僕は何一つ覚えてない。
今覚えてないのではなく、当時からなにも覚えていなかったらしい。
例えば小学校高学年の頃に幼稚園で一緒だった奴のことを覚えていなかった。その子の親御さんから声を掛けられ、自分の親からもあれは誰々だと言われても、さっぱり記憶にない、見知らぬ人、だった。ひどい。
というわけで僕の「あの頃僕は何をしてたんだろう」はここで終わる。(^_^!)
2011.11.25