CB-1の事

そのバイクが僕の手元に来たのは僕が26歳になった夏前のことだ。期待通りの恐るべき動力性能と共にそいつはバイク屋に納品された。ところがバイク屋から家までそいつに乗って帰ってきた時に、僕はこれはまるでオモチャみたいだと思った。その位乗り易かったし、小さく感じた。

長い間乗り続けたCBX400F INTEGRAから乗り換えるに当たって、僕は随分悩んでいた。その頃はスポーツバイクと言うとレーサーレプリカと呼ばれるスプリントレース用のマシンに酷似したスタイルのモデルにほぼ限られていたからだ。何年も前からこの傾向は続いており、買い換えを常に意識していた僕はいつも「これだ」と思えるバイクに出会えずガッカリし続けていた。スズキがBanditという直列4気筒DOHCの400ccを発表したが、どうやらこれはスポーツバイクとしては車体の設計がおざなりな様で、あくまで飛ばすことしか考えていない僕としては不満があった。そして本当に買い換えようとしていたときにホンダがCBの名前を冠した400ccを出すと言うので喜んで試乗に出かけた。しかしこれはエンジン出力に随分と手加減をし、キャスターが絶望的に寝ていた。サスストロークも長く、何よりキャブレターのインテイク径を絞っていたものだから、改造してまともなスーパースポーツに改心させる事は大変だと思った。試乗してみると果たして、それは予想通りスーパースポーツとはとても呼べないものだった。何もかもがフニャフニャした感じで弱い。試乗の帰りに自分のCBXに乗ったときに、余程こちらの方が迫力があると思ったのを今でも覚えている。

結局僕は数年前に発表されたCB-1を探すことになった。しかしこれが1年ほど前に生産停止になったとのことで、バイク屋にとっては探すのが一苦労だったようだ。初めはビビッドな色が大変綺麗な赤を狙ったが、これは全く見つからず、結局メタリックの青となった。

CB-1は純粋にスポーツバイクとして設計されたものなのだが後に少し性格が変えられ、タウンユース向けに設定し直された2型が出た。エンジン出力を3馬力下げ、燃料タンク容量を2リットル増やして、ハンドル位置を数センチ上げている。僕は勿論1型を選んだ。

ホンダは当時全盛だった400ccレーサーレプリカ市場への一つのアンチテーゼとしてCB-1の開発をスタートさせている。ホンダお得意のDOHC直列4気筒を水冷で載せ、カムギアトレーンとしている。

エンジンこそ独自設計ではなくCBR400RRのものを借りているが、かなり手が入っている。CBRではエンジンは完全にカウルに覆われているため、外装はアルミ地肌がそのまま剥き出しになっている。これに対してCB-1ではエンジンは美観上の大きなポイントになるので、外装は綺麗に磨かれている。シリンダ前傾角度も少し倒し、エンジンヘッドも見栄えの良いように少し大きくされている。細かなことだが各種ワイアリングも見栄え良く変更されている。キャブレターの内径はそのままに、CBRエンジンが持つ中速域でのトルクの谷を無くし、最大出力こそ57馬力と2馬力落ちてしまうが逆に中速域ではCBRを上回るトルクを得ることに成功している。

シャシーに至っては完全新設計で、新しい技術は特に導入していないが非常に太いパイプでダイアモンド型フレームとし、ステアリングヘッドからスイングアームピボットまでほぼ最短距離で結んでいる。この構成により車体は非常に強い縦剛性を得ることになる。そのせいで逆にねじり剛性を少し落してあると言うことだ。縦方向の剛性の強さは常に感じられ、太い中低速のせいもあってCB-1の反トルク反応にゴツゴツした感触を与えている。キャスターはCBRなどより僅かに寝かせて常識的なスーパースポーツの領域に振ってある。これらの組み合せがCB-1に敏感なステアリングとリーン角度に素直なコーナリング反応を高いレベルまで連続性を保ちながら与えている。そしてそれこそがCB-1の設計ゴールであったと思われる。

エンジンとシャシーのこの徹底したゴールへの求心力は、スポーツバイクに新しい領域を作ろうとした設計者の気持ちを伝えてくれる。僕はそれが気に入ったと言うわけだ。

他にもCB-1では虚飾を廃し、性能指向なところを見せる。前後17インチホイールで運動性を重視しているがこれはこの当時としてはごく当たり前の設定というべきか。両輪ディスクブレーキなのだが、前輪が大径のシングルとなっていたのが飾り気がなくて良く、何より軽量に仕上がっている筈だ。タイヤにわざわざバイアスを選んでいるのも好感が持てる。限界域でもない限りラジアルは路面のショックを拾いすぎてサスペンションを余程良くしないとハネて安定性を損なう。サスセッティングと言ってもレーサーは限られた運動量と状況に合わせてやるから何とかなるだけで、僕らが峠で飛ばす分にはサスが状況に合っていない場合の方が多い。グリップについては今のタイヤ技術ならバイアスで充分だ。それでも前110、後ろ140とワイドな構成になっている。後輪の空気圧が低い状態で走れば判るのだが、CB-1はステアリング要素の多くを後輪に頼っている。これはバンクしながらの加速動作で安定することを予測させるし、事実そうだと言える。加速も減速もエンジンに頼って振り回すインライン・フォー独特の走らせ方が出来るだろう。

ライディングポジションもゆるい前傾姿勢で、伏せようと思えばべったり伏せられるが、普段は自然に顔を起こしていられる。顔が起こせるのはスポーツライディングでは有効で、コーナーの向こう先まで遠近感をもってよく見渡せる。ロバーツもスペンサーも頭は起こしていたし、スペンサーに至っては体も起こしていた。レーサーレプリカが要求する極端な前傾姿勢は公道のワインディングでは殆ど危険と言ってもいい。クローズドサーキットと違って道には何が落ちているか判らないし、何かが飛び出してくるかもしれない。

なかなか気に入ったCB-1だったが、気に入らないところもある。それ以前に乗っていたCBXには大きなカウルが付いていたことがあって、まず高速域での風圧が僕には堪えられなかった。高速道路などでは風が体を直撃するのだが、この程度の速度で体を伏せるのも、風を受けるのも非常に嫌だった。結局僕は風よけの為の対策を考え始め、モノとしてはBROSに付けるためのアクリルの一枚板のものが良さそうだったので、これを付けることにした。バイク屋に頼んで取り付けまでやって貰い、揺れを押さえるためにインシュロックですこし引っ張っておいたら、高速域でも安定して非常に有効な風防となった。折角ネイキッドなモデルとしてのCB-1のデザインが損なわれて不細工になったとバイク屋は笑ったが、僕にとっては有難いものとなった。

また、高速域での旋回中にステアリングが不安定なのが問題だった。これは運動性の現れなのだが前後18インチホイールに慣れていた僕には不安な程度だったので、ステアリングダンパーを付けるか、タイヤをワンサイズオーバにするかを考えた。結局ステアリングダンパーを付けるとハンドル切り角が20度程度になると言われてタイヤで対策を取ることにした。20度と言えば僕の感覚ではドゥカティのそれに等しく、冗談ではないと思ったからだ。結局ワンサイズオーバーのタイヤを付けてみたら高速域では随分と安定して、狙い通りとはなった。その代償としてCB-1独特の中速域でのヒラヒラ感は無くなってしまったが、もともと車体を振り回して乗る癖のある僕は特に気にならなかった。

僕はこの新しいバイクで驚いたことが二つある。一つは最初の年の夏に行った会津までのツーリングで富士山に登った時だ。前にCBXで上がったことがあったが、5合目にたどり着く遥か前からエンジンが殆ど回らなくなってしまった。高度差が大きく、キャブレターのセットが全く合わなくなってしまったのだろう。CB-1はCBXと同じく気筒辺り一つづつのCVキャブなので、同じ様になるかと心配したが、全く何の問題もなかった。遥かに馬力の出ているエンジンなのだが、CB-1の方がキャブレターの設定に関しては許容度が高かったのだ。

もう一つは知人のVFR400Rを借りて乗ったときのことだ。このバイクは今まで僕が乗ったどのバイクとも違う異次元の乗り味を持っていた。走らせ方が全く違うのだ。普通のバイクで行われるカウンターステアから始まる旋回動作を殆ど全く受け付けない。その代わりに勝手に曲がる。後日その話を単車屋の人にしたら「リジットに乗っているみたいやろう」と言われてそうだと思ったが、全くリアサスペンションの反応、地面とエンジンからの反力が感じられない。VFRだけではなく最近のスポーツバイクは全体にこの傾向があるそうだ。対してCB-1は全く常識的な反応をするが、結果的にこれは僕にとっては非常に幸せな事だったと言える。

先の夏に風防を付けてから初めてのツーリングに行った。このときは余り距離は走らなかったが、高速道路などでその有効性は再確認できた。非常に快適だ。最近になって風防のせいで高速域でのステアリングの振れがかなり抑えられていることにも気が付いた。もう余り限界で飛ばすことが少なくなってきて、朝早くに知人と走りに出ても流しめで走って帰ってくることが多くなってきた。時々は走った翌日にはタイヤが真っ青になるような事もするけれど、それでもCB-1自身の車体限界はまだまだ遠く上の方にある。エンジンがひきつる音も車体のきしむ音も聞いたことがない。有る程度限界の低い方がスポーツバイクとしては楽しいのだが、まあ良しとしよう。

まだまだ長く乗りたいバイクではあるが、不安もある。何しろ全然飛ばすことが無くなった時にはCB-1を降りて納屋に隠してあるCBXを引っ張り出して乗ってやる約束なのだ。その時このCB-1はどうなるのだろうか。捨てられてしまうのか?はたまたCBXの代わりに納屋にしまわれるのか?僕は何の約束もこのCB-1とはしていないが、おい、CB-1よ、それは今後のお前の走りにかかっているぞ。

その後(2007.4 追記)

上の文章を書いてから 12 年経って、僕は CB-1 を人に譲ってしまった。長いようでもあり、もう充分と思ったりもするが、しかし寂しくもある。4年ほど前から、CBX 400F2 を戻して走らせているせいで余計にこの単車に乗る機会が減ってしまったのだが、決め手は知人から譲って貰った smart だった。単車を三台維持しているところに車一台追加では、さすがに滅多に乗らないバイクの維持費まで出せなくなってしまった。正確には CB-1 の維持費を smart のそれに充てたというところか。

元の文章を書いてからほどなくして大阪に引っ越してしまい、乗る機会が激減してしまった。良いコースがない、同居人ができて時間が取れなくなった、といったあたりが原因だが、それでも僕は CB-1 を手放す気にはならず、マンションのガレージの奥にひっそりと置いて年に数回、妙見山あたりへ出かけていった。数年後に再び京都に戻ってきて、少しは乗る機会が増えたが、同居人が増えたり、CBX を戻したりしたのでまた機会減少となった。

それでもさすがに 26 歳から 15 年付き合った奴をポイとスクラップにするわけにいかず、CBX と同じく廃車して寝かしてしまおうと思ったところ、廃車直後に乗るという若い人が現れたので、ただで渡すことにした。いじっても壊してもいいけど、売るんだったら僕に返して、という条件だけをつけて。最後の整備で、バッテリーとブレーキフルードを交換、初心者に貸して倒れた時に傷ついた右クランクケースのフタ(プラスティック)も換えてピカっと新しくした。左クランクケースカバーに傷が付いてるけど、これは鉄製で部品が高かったためそのまま。さすがに新品同様とはいかないけれど、15 年前のバイクにしては状態は良い方だと思う。性能もほとんど落ちてないと思う。本当に安定してよく走る単車だ。塗装もペラペラのペンキみたいなレーサーレプリカより余程しっかりしてる。

思えば XE-50, TY-50(80) と、自分が乗ってきたバイクはみんなこうやって知人にタダ(同然)で渡している。自分で捨てたことはない。XE も TY も、さすがにスクラップになったと思うけれど、あれからどんなところを走ったかなあ。これからあの CB-1 はどこを走るだろう。また僕の所に戻ってきたりするのだろうか。

バイクを手放すというのは、なんだか寂しい。いつだってそうだ。

さらにその後(2018.10 追記)

何年経ってから、だったかもう忘れてしまったが、CB-1 は再び戻ってきた。渡していた知人が約束通り、乗らなくなったら返してくれたのだ。今はガレージに寝かせている。再び火を入れる時が来るかどうか分からないが、ともかくまた僕の所に戻ってきた。



Yutaka Yasuda

1995.02.00 (unknown)