XE50の事

XE-50と言ってみても、どのくらいの人が知っているだろうか。ミニ・トレールというジャンルとその言葉が存在していた頃のバイクである。当時のホンダの名声と、競争機種が少なかったことで、言わば一世を風ビしたミニ・トレールのベストセラーだ。前に16、後ろに14インチのホイールを持ち、ホンダ得意の4サイクル単気筒の50ccエンジンは何と4馬力近くを出していた。75ccのモデルもあったが、当時はヘルメット無しで走れる50ccに人気があったように思う。4速ミッションではあったが、トルクバンドの広いエンジンと良く合うギア比の設定で、オンでもオフでもそこそこに走った。特筆すべきはフロント・サスペンションの質の高さで、当時の原付としてはぜいたくな程のダンパーだった。その車体とエンジンの頑丈さは、オドメータが1万、2万Kmを差してもなお良い音を出して走っているのを今でも良く街で見かけることが証明している。 さて、僕が高二も終る頃にこのXEは我が家にやってきた。兄貴が親父の仕事仲間の家で一年ほど寝ていた奴をタダで貰ってきたのだ。黒いタンクに赤いフロント・フェンダーのそれはXE-50IIというXEの後期型で、ミッションが5速になったものだった。サイドカバーには誇らしげに「5 speed」と書き込んだエンブレムが貼られていた。他にも前後期では変更点が有るが、イギリス人ではあるまいし、拘ってみても仕方のない程度のものである。

そのXEは、それから兄貴が一年ほど通学、通勤、そしてカッ飛び(!)用に使い、高三の終り頃から僕も乗り始めた。それより少し前に一度兄貴は友人を乗せたことがある。彼は当時最新型だった初の水冷DT-50を追い回し、エンジンを焼き付かせてしまった。兄貴はその公園から家まで、殆どXEを押して帰ってきた。それから兄貴はXEをだましだまし走らせ続け、何と1ヶ月もすれば一応、元通りとまでは行かないまでも、ちゃんと走るようになった。その頃は何Km/hまで出たと兄貴は言っていたけれど、僕が乗り始めた頃にはもうそんなには出なかった。

大学へ僕が通い始めた頃には、兄貴はタクトを買ってそれで会社に行っていたから自然と僕はXEで通学する事になった。それから間もなく、今度は僕がエンジンオイルがないまま走るという全くの無知のためにまたエンジンを焼いてしまった。それからXEは4サイクルのくせに何故かオイルが減る持病を抱えてしまうが、それもオイルさえまめに換えていればまた走ることは走った。

オドメータが8500Kmを過ぎた頃からは、もうこのXEは僕しか乗らなくなった。季節が変わる度にキャブレターを合わせ直さなければならず、数カ月でバルブは異音を出すようになったから、しょっちゅう手をオイルで汚していた。そんなこんなで大学2回生になる頃にはXEは完全に僕にしか乗れないセッティングになるくらいいじくり回された。他の誰が乗ってみても10分と経たぬうちにオーバヒートさせるかカブらせてしまうのだ。

それでも僕はこのXEでそこら中を走り回った。持越峠、鞍馬、貴船、市原、原谷、とにかく林道と見れば入り込んで行き止まりまで走った。京見峠の裏を抜けて然林房の坂の下に出る急坂などは良く下った。まだ工事中だった江文峠を静原から市原へ抜けて帰ってきたこともある。オンロードも攻めたり(!)した。周山街道や途中は何度となく走ったし、琵琶湖を回って一日に180Km走ったりもした。オンロード・ランと言っても全力で走れるのはものの5分で、すぐオーバヒートした。だから20分ゆっくり大事に走っては良さそうな所で3分間飛ばす、と言ったペースで僕は良くこの言うことを聞かないオンボロ・トレールと何時間かを過ごすことになった。

そして今年の春にはオドメータは1万6500Kmを回り、僕はXEを手放すことになった。メーターの分だけ走ることの楽しさや整備すること、そして転倒の痛さ怖さまで教えてくれたこの単車を手放すとなった時、初めて僕は単車屋にエンジン整備を頼んだ。各部で手を入れられるところはとにかく自分で直した。バッテリー、フォークオイル交換、タイヤまで新品にした。そしてエンジンがプロの手で直されて返ってきて、その余りの変身ぶりに僕はびっくりさせられた。あれ程てこずったアイドリングもピタリと出ていたし、トルクも全域できれいに出ていた。何よりキック一発で火が入った。それから先方に手渡すまでに僕は新しく手に入れたTY-50よりもむしろXEで良く出かけた。途中峠へ2回も行って、道に雪が見えるまで走っては引き返した。未練がましく雪の中を雲ガ畑まで行ってみたりもした。帰ってきたら母親にこんな日にどこへと聞かれるほど、それはハタ目には奇妙に映ったろう。

ともあれ、僕はこの6年ほども前の単車に精一杯の思い入れを込めて整備をし、引き渡す数日前には、それまで2年間にやったことがないくらいの掃除をしてピカピカにしてやった。そうして8000Km以上を共に過ごして、いろんな事を教えてくれた僕のXE-50IIは僕の手許から離れて行った。それでも山でXEを見たりすると、GT-50と見ればライバルとばかりに吹っかけていた頃を思い出して今でもついピース・サインを送りたくなってしまう。

何にしても他愛の無いXEの話ではある。



Yutaka Yasuda

1986.07.00 (unknown)