TLの事

そのバイクは僕が大学4回生の秋に買ったものだ。山の中などを乱暴に走らせることが多いはずなので、まだ綺麗なうちにと思いさっさと京見峠の裏へ行って写真を撮った事を今でもはっきり覚えている。

実は僕は初めTL125を買うつもりではなかった。単車を買うために僕はその夏、夜勤のアルバイトなどをしていたのだが、それはオフロードバイクではなくオンロードバイクを買う為だった。当時乗っていたCBX400F INTEGRAを乗り換える積りだったのだ。そのために狙っていたバイクは同じホンダのVF400F INTEGRAというモデルだった。当時良く売れていたVF400Fをベースに、ブレーキとフロントサスペンションをインボードシステムからCBR400Fが採用した通常のものに変更し、少し大きめのフルカウルを付けて質実剛健を求めるヨーロッパ人に受けを良くした輸出向けモデルだ。これの新古車が38万円で売りに出されており、それに飛びつく積りだった。ただ毎週のように早朝走りに行く僕を不安に思ってか父親が反対し、僕はそれを買うことが出来なくなってしまった。僕は何かのために働くのは好きだが、そうやって作った金が余ってしまっては仕方がない。腹立ち紛れに当時乗っていたヤマハのTY80を友人に安くで渡し、持っていた30万円で買えたTL125を注文したと言うわけだ。ただ当時TL125は生産を既に停止しており、在庫を捜していたところで丁度生産を再開したというタイミングの良さで、結果的に僕は工場から出た途端のプラスティックの臭いも新しい新品を手に入れることになった。

TL125と言うと多くの人はホンダのBIALSという別称の付いていた頃のモデルを思い浮かべるのではないだろうか。僕が買ったそれはホンダ社内ではTLR125と呼ばれているもので、TLR200のエンジンなどをサイズダウンして発表したモデルである。TLR200が出る少し前にホンダは旧TL125の設計を濃く残したイーハトーブと言う125ccのトライアルバイクを発表している。モトクロッサー一辺倒だった当時のオフロードバイクの流行に反する形で発表したシルクロードと言う名前の250ccの後に続く形でそれは売り出された。それが結構当たってしまいホンダは最新の設計を詰め込んだ純粋トライアルモデルであるTLR200を売り出した。これは予想通りのヒットとなり、それに続く形でTL125が発表されたと言うわけだ。このとき何故TLR125ではなくTL125という名前を使ったのか僕には良く判らない。昔大人気だったTL125BIALSにあやかりたかったのだろうか。

TLR200とTL125の相違は非常に僅かのもので、保守マニュアルも共通になっている位だ。エンジンが125ccに落とされ、加速ポンプが外された。キックが軽くなった為にオートデコンプも取り外された。高速道路に乗らないために5速ミッションとなった。デザイン上のポイントだった金色のホイールがアルミ地肌のものになったり、エンジンが黒塗りからこれまたアルミ地肌になったりと些細な差はまだ有るが、その程度だ。逆に良くなった部分もある。どう言うわけか二人乗りを可能にするキャリアとシートがオプションで付けられるようになった。そのせいかどうかは知らないがリアサスペンションはTLR200のものよりも良いものが付いているとバイク屋の人が言っていた。
TL125はトライアルバイクとしては当時の最新モデルの基本的な要素をしっかりと押さえている良いものだと思う。TL125を購入した後で、イーハトーブに一度乗ったことが有るのだが、その重心位置、ハンドル切れ角、サスペンション、様々なアクションの反応などで全く違う印象を受けた。一事で言うとイーハトーブは設計が「古い」のだ。実は僕は当時トライアルバイクではなくトレールバイクを欲しがっており、TL125とどちらを買うべきか悩んでいたのはヤマハのTW200だったくらいだから、TL125よりトライアル色の薄いイーハトーブも視野には入っていた。ただ生産停止してから長く、入手不可とのことで諦めたのだが今になって見ればTL125の方が良い選択をした訳だ。

TLに乗り始めた最初のときは何もかもが面白かった。何しろ僕にとっては初めての新車だから慣らし運転だって初経験だったのだ。単気筒SOHCで100Kg以下と車体が軽いせいもあり、一つ一つのパーツのアタリが出て行くのが反応として感じられて面白かったものだ。最初はあちこち動力抵抗が大きくてエンジンを良く止めてしまい、その度にキックしていた。そのうち疲れもあってエンジンがかからなくなってしまい、琵琶湖のほとりで呆然としたこともあった。慣らしも終った頃、小型車なら天の橋立の中を走れるという事に気が付き宮津まで行ったこともあった。目的を果たし砂場を走って楽しんだまでは良かったが、往復6時間の辛い姿勢が災いして帰り着いてから一週間くらい首が寝違えたように固まってしまったのには参った。この頃は良くトライアルごっこなどをやって楽しんでいた。ただ初めの頃TLの走破性能が僕の技量より遥かに高かったのには恐れ入った。つまり階段を上がる、などという場合には「下手に何かしないこと」が非常に大切で、大抵の場合何もしなくても素直に走ってくれる。僕はTLに乗り始める前にはTY80という古いミニトライアルバイクに、その前にはXE50というこれまた古いトレールバイクに乗っていたが、そのどちらでも京見峠の裏側のガレ道を下ったりして遊んでいた。慣らしが終って喜び勇んでその下りにTLを持ち込んでみたが、何の苦労もなくあっさり下り切ってくれたのには驚いた。下手にこっちでコースを選んだりすると余計に不安定になる。車体が進みたい方に勝手に走らせてやる限り何の問題もないのだ。確かにホイールベースの長さ、ホイール径の大きさから来る安定感はあるのだが、それ以上に全体のバランスの良さを感じた。

しかしTLの美点はやはりエンジンに尽きる。たった9馬力程度の出力しかないが、最大トルクを4500回転程度で出す癖にその最大出力を9000回転まで引っ張って出す。回転計が付いていないので確認できないが、事実その程度までは回っているようだ。ホンダマジックと言って良いものだと思う。
最初の頃は慣らしの為もあってせいぜいローギヤで発進していたが現実の利用では余程のラフロードでの登りでもない限りセカンド発進となるためにローは使わない。つまり日常利用では4速車となる。逆に山の中では1,2,3速のみとなる。日常利用とトライアルごっこの両側を視野に入れた設定で結構無理があるのだが、TLのエンジンにはこのギャップを使いにくいものにしないだけの柔軟性が有る。
このエンジンをひたすら頼って山の中に入って行くのだが、少々難しい登りでもローでアクセルを一定にして狙ったコースに突っ込ませれば大抵の所はちゃんとトレースして渡り切ってしまう。山の中では道があったところに鉄砲水が流れた大きなくぼみが出来ていたりするが、そう言うところに突っ込む場合に絶大な安心感を持たせてくれた。危なくなったらアクセルオープンで脱出を図れば何とかなるさ(実は逆にまずい場合もあるのだが)という安心感もあった。

いい気になって登っていって失敗した事も数々ある。初めて入った山道にトライアルバイクと思えるタイヤ跡が付いている。しかも轍は一つだけで、つまり引き返していない事を示している。その上しばらくたどっていると、タイヤ跡は左右に振られながら走っており時々は滑ったりもしているから、僕は何だ下手な奴だなと思った。つまり下手な奴が引き返さずに行ったのだから、この道はどこかに通じているのだろうと判断して僕はどんどん奥に入って行った。ところが下りに入ってからどんどん道は厳しくなる癖にタイヤ跡はそのまま続いている。ええい厳しいのはここだけさと自分に言い聞かせてタイヤ跡について行ったら、とうとうこれは失敗すると引き返せなくなると思われる所にたどり着いてしまった。さすがに危機感を感じて一旦単車を降り、しばらく歩いて岩だらけの坂を降りて先を確認しに行ったら、何とこれがとてもじゃ無いが僕の技術では行けそうにない急坂の連続だ。それでもタイヤ跡はまだまだ続いていた。何とタイヤ跡は非常な技術の持ち主のものだったのだ。途中で下手に見えたのは単にフラフラと車体を振って遊んでいたのだと、ようやくその時気が付いた。単車のところまで戻って、もと来た道を眺めると、もう見上げるような斜度の岩場だ。僕は大汗をかきながら、僕と同じ様な下手っぴーがもう一人この罠にはまってしまうのを防ぐために、今度は引き返すタイヤ跡を一つ付けて帰ったという訳だ。

このTLにはもう7年以上乗っているが、オフロードバイクの御他聞に漏れずかなり汚くなってしまった。まあ洗いもしないし、野ざらしで置いてあるから仕方無い。
今、長らく住んだ京都の北区から引っ越したせいで、何カ月かTLに乗っていない。こんな事は初めてで、ちょっと何か物足りない毎日だ。そろそろ暖かくなってきたし、京都に置いてあるTLをこっちに持ってきて、またどこか走らせてやろうか。

'96.3 Yasu.


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