CBX400Fの事

その単車は雪の降る夜にバイク屋の車に積まれてやってきた。そいつはそれから9年間走り続けることになったが、その時はまさかそんなに長く乗るとは考えもしなかった。僕が17歳になる直前の冬だった。

当時は空前のバイクブームが始まった頃で、国内各メーカーは競って高性能バイクを発表していた。当時は空冷4気筒DOHCというのが400ccクラスのステイタスとなっていた。しかしその遥か前からCB400Fourで4気筒400ccを経験しているホンダは、なぜか空冷2気筒OHCのHawkシリーズを出し続けており、ホンダファン期待の中で発表された新型も再び2気筒のCB400Dだった。このスーパーホークIIIは一部のファンの人気を得たが結果的には余り売れず、CBX400Fがようやくの4気筒となった。そして非常に売れた。空冷直列4気筒DOHC、各気筒当たり4つの直押しバルブとなればホンダが長い間レースやCB750Fで熟成させてきた形式で、その仕上りはさすがにエンジンのホンダらしいものだった。当時クラス最大の48馬力を12000rpm辺りで叩き出し、インラインらしい吹き上がりとそのエンジン音は航空機のように響いた。この音で逆に暴走族のニーチャンの人気も得てしまったものだ。その後ホンダは54馬力を誇るVF400Fを出したがCBXはそれでも売れ続けた。特にその年の鈴鹿4時間耐久で森脇エンジニアリングのCBXが勝ち、発売当時の宣伝文句であった「鈴鹿を一番速く走るように作り上げた」事を見事に証明した。

僕の家にやってきたCBXは、CB900Fに採用されたような大きなカウルが付いたINTEGRAというモデルだ。ホンダ社内ではCBX400F2と呼ばれている。当時CBXと言えば赤と白のカラーが余りに多かったので逆にマイナーな青と白を基調にした色を兄貴は選んだ。結果としてこれは大正解で、青/白のINTEGRAは滅多に見ることがなく、どこでも良く目立った。

このCBXは兄貴が乗り回し、兄貴の友人達と京都の山を走り回るようになった。調子良く飛ばしていたようだが、最初の夏に兄貴は事故を起こし京見峠で車に正面衝突させてしまった。幸い怪我はなく、単車もカウルが割れ、フロントフォークのインナーが折れた程度で比較的安く直った。ただそれからはセンターが狂ったらしく、手放しでは安定して走らなくなってしまった。結局、兄貴はCBXに1年と少し乗り、その後CBR400F ENDURANCEに乗り換えた。友人のVF400Fには馬力で負けてしまうのだそうだ。その後CBXは専ら僕が乗ることになった。僕が18歳の夏のことで、中型免許を取ったばかりの時だった。兄貴からタダで貰えることになった訳だが、何でも持物を雑に扱っては壊して駄目にしてしまう僕のことを心配して「綺麗に乗ること」という条件が付けられた。すでにオドメータは12000Kmになっていたが、エンジンはレッドゾーンまでストレスなく回った。高回転時のこれぞインライン・フォーと言う音も健在だった。ただ3000rpmあたりでの独特の音(これは聞いたことのある人にしか判らない!)はもう出なくなっていた。

それから僕はこのバイクに26歳の夏まで乗り続ける事になった。初めての中型バイクだったこともあって、暫くはゆっくり乗っていたものだ。しかし次第にペースを上げ、周山街道から海へ抜ける国道を早朝飛ばすことに熱中するようになった。ただ走っては帰ってくるだけの僕に両親は呆れたが、6時頃に通過すると必ずこっちを見つめていてくれるキツネが居たりして、色々な事を含めて僕は早朝走るのを結構楽しんだ。今は道路が整備されて見なくなったが、あのキツネはどうしているだろう。

CBXは前後18inchホイールでセンターパイプバックボーンのダブルクレードルフレームという古い車体を持ち、コーナリングには独特の迫力がある。コーナー入り口までにギヤダウンを繰返しながら旋回速度まで減速し、エイヤっと車体の向きを変える。そのままパーシャルアクセルで7500rpmから10000rpmの間をキープして旋回し、脱出時に思い切りアクセルを開けられるように出口で常に8500rpmより上を保つ事を狙う。アクセル開度が結構大きいのでパーシャルから全開にする時に手首だけではなくヒジごと大きくあおっていた。抜かれた人が後ろから見たとしたら結構派手なアクションだったと思う。追い抜きはこの全開状態で行われることが多いが、この時の回転数が問題だ。10000rpmを超えるとエンジンは急に人が変わったようにロケットのような乱暴なダッシュを始め、あっと言う間に12500rpmを振り切る。この時エンジン音はジェット機のようなカン高い爆音に変わり、レブリミッタなどと言う下品なものは付いてないからバルブサージングが起きる。これを嫌ってシフトアップとなるのだが、一つ上げたらまた10000rpmでダッシュの始まりだ。しかもこの間、車体は硬直し車線変更などの操作は殆ど利かない。直立不動の猛進で、ドラマチックな盛り上がりと言えば格好は良いが、乗っている方はドキドキものだ。追い抜かれた方はちょっと怖いものがあっただろう。空冷エンジンの限界状態の爆音は結構威圧感があるのだ。

CBXは古い設計の車体に新しいデバイスを積極的に採用した意欲作だったが、それが裏目に出ている事も多い。例えば前後共に採用されたディスクブレーキだが、アルミプレートのタッチの悪さを嫌い、鋳鉄製を採用した。しかし鉄は錆びるので、これを隠すためにディスクをフルカバーし、過熱をベンチレーテッドディスクとすることで解決しようとした。インボードディスクブレーキという名前が付いていた。狙った通りタッチは良くバンク中にでも握れるほどだが、何しろユニット全体が重くなった。ホイール軽量化のため新設計のブーメランコムスターを採用したが、それでも重さは隠せなかった。その上ベンチレーテッドとは言え、過熱は避けられず30分くらいハードに使うとヒートしてしまいフロントが非常にスポンジーになった。またリアサスペンションにセミエアのプロリンクを採用していた。このプロリンクは当時オンロードでの採用が珍しいものだったが、その動きが非常に悪い。リンクの軸受がすぐ焼き付いて固くなってしまい、跨ったくらいではビクともしないようになるのだ。また、当時流行ったデバイスにアンチノーズダイブがある。CBXにもフロントフォーク片側にTRACが付いていて、これは確かに効果が大きく非常に役に立った。

友人が次々とバイクを乗り換える中で、僕は車体の限界に達していないうちは乗り換えないと決めてCBXに乗り続けた。勿論年がら年中(と言っても冬は乗らないのだが)飛ばし続けているから、いろんな所が傷んで良く交換した。ドライブチェーンの様な消耗品は言うに及ばず、ステアリングベアリング、少し振れが出たフロントホイールも交換した。極め付けはカムチェーンで、これは兄貴が減速中にローギヤに入れて振り切り寸前まで回す(しかも振り切ったら半クラッチを握る!)という乗り方をしていたため駄目になったものだ。プロリンクの軸受はすぐ焼き付くので毎車検ごとに交換した。バルブ間隙もほぼ毎車検ごとに調整したが、これをするといつでも良い音に戻って、その度に改めて感動したものだ。

僕が根気良くCBXでペースを上げられた理由の一つにタイヤの性能が劇的に上がってきたことが挙げられる。3年め辺りからバンク中の安定性を上げるためにワンサイズオーバーのタイヤを選ぶようになったが、この為にCBXが本来持つヒラヒラ感はなくなった。その代わりステアリング操作と体重移動で車体の向きを変えてやると、後はべったりと路面に張り付いて旋回するようになった。フロント18inchホイールの特徴で、一旦決めたラインは旋回中には変えられないから、この張り付いて旋回する手はライン読みと思い切りが必要だった。逆にこれが決ると面白いのだが。この頃になると旋回中の荷重が大きくなって来て、コーナリングがだんだん難しくなった。バンクしすぎても、沈みすぎてもまず初めにマフラーの底が擦るのだが、これが車体を突き上げて起こしてしまうので非常に怖い。サスペンションが前後ともエア式なのを良いことに前0.8Kg、後ろ2.7Kg程度を掛けていたが、既定値がそれぞれ0〜1Kgと1〜4Kgだったからもう限界に近かった。後半タイヤがもっと良くなり、負担がサスペンションよりフレームに掛かるようになってCBXの車体はきしむようになった。特に江文峠の下りでフルブレーキなどするとミシッと音がして嫌だったし、前後のタイヤの減る角度が全然違っていたのは僕のステアリングをこじて乗る癖のせいばかりではないだろう。

さすがに8年間も乗っていると、色々なことがあった。非常に大きなカウルが付いていて、高速巡行が得意な構成だったこともあって、出不精な僕もあちこちへツーリングに行った。だいたい毎夏に一度、2泊から5泊ぐらいで涼しいところへ出かけた。初めて友人と一緒に行ったツーリングは今でも良く覚えている。初めてだったので無理はせず、名古屋から黒部を回って糸魚川から出てくると言う高速道路の旅だ。初日に泊まったキャンプ場は、オフシーズンだったこともあって余り人が居なかった。(その代わりに牛がいっぱい居た!)日本一周している脱サラのバイク乗りと、自転車ツーリストが居ただけだったが、皆で集まって晩飯を食った。夜、雨になって嫌な思いをしたが、翌日一日ずっと雨だったのにはもっと閉口した。

CBXでの最後のツーリングになったのは、一人で日光まで行ったときのことだ。これが実は最長不倒距離なのだが、無謀にも僕は日光まで最初の一日で行くことにしたのだ。朝6時頃に京都を出て朝食を浜松、昼過ぎに横浜、そこからえらく手間取って東京都内を抜け、宇都宮に着いたのが夕方だった。飛ばしに飛ばして日が暮れる直前に日光に着き、民宿に転がり込んだ。東京都内で数時間迷ったのを含めて、およそ850Kmを14時間で走ったのだから、今にして思えば無茶をしたものだ。翌日、日光観光をして再び横浜に戻って友人宅で一泊。それから数日を費やして箱根、富士、河口湖、諏訪、飛騨、高山と周って最後に名古屋の友人宅へ泊まって帰った。総計千数百キロを数日で回った単独ツーリングだったが、途中一人で走ったのは僅かで、大抵誰か同じ様なバイクツーリングの人と一緒に走っていた。白糸の瀧から諏訪湖まで一緒だった堺の二人連れなどは結構面白かった。その途中、甲府で会ったブドウをくれたおっさんの方言がひどく、話しかけてくれた日本語(!)が一言も理解できないまま見送った後、堺の人と大笑いしたのは忘れない。

26歳になった僕は新しいスポーツバイクを手に入れた。CBXをこのまま乗り続けたらきっと壊してしまうと考えたのだ。我ながらCBXの限界まで良く使い切っていたと思う。少し気を入れて飛ばしたあとはエンジンがキンキンきしみ、タイヤはもう端まで使い切っていた。サーキットを走るレーサーでもない限り、スポーツバイクは信頼だけで走らせるものだ。車体の限界まで来たと感じ始めたら、もう後は怖いだけとなってしまう。僕はもうCBXは信頼できないバイクになってしまったと思い始めてしまった。新しいバイクの慣らしをしていると、今まで何故CBXで走り続けられたのか不思議なくらいの性能の差に驚く。

CBXは今では何故か「ちょっと前の名車」と言う感じの妙な人気があり、プレミアまで付いているので売れば幾らかにはなっただろう。新車の価格が非常に高いこともあって少し迷った。しかし結局、僕は8年間乗り続けたCBXを手放さずに納屋に片付けてしまった。この次何年先にCBXを引っ張り出して乗るのかは判らないけれど、僕はその日が必ず来ると感じている。重くて、大きくて、扱いにくい癖に大したこと無い性能の、このバイクに結構愛着があるのだ。でも僕は、あの独特の排気音を聞くと思わず振り返ってしまう。またあの音を聞けるようになるのはいつのことだろう。僕とCBXの長い付き合いはまだ終らない。

'92.6 Yasu.


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