1995 年頃の ATM (Asynchronous Transfer Mode) 狂想曲について少し書いておく

2018/10/14 の「関西インターネット老人会」で岡部先生が ATM の事について触れられていたので、自分が当時考えたことなどを残しておく。

僕の見ていたもの

1995年の補正予算(資料 (*1) によると二度もあったらしい。もう覚えてない。)で僕ら(京都産業大学)は ATM を入れなかった。 その代わり、FDDI シングル・リングだったバックボーンを GigaSwitch FDDI でスター型に置き換える計画で補助申請を出した。学内の経理からもこれでは補助(半額)が出ないだろうと文句を言われたが、蓋を開けてみたらちゃんと補助は当たった。

僕が京産大でATM を選択しなかった理由は、我々のキャンパスネットワークが、インフラも、そこで動くサービスも、すべからく実利用向けだったからだ。研究プラットフォームなどではなく、完全に実用だった。 当時の ATM は、大阪大学や他の事例を見る限り、PVC でしか動作せず、管理主体が計算機センターしか無い(他の国立大のように部局ごとに分ける理由がない)我々には、単に設定が面倒なだけに思われた。

また学内 LAN は当時の状況を反映して、各種のプロトコルが動いており、IP さえ通せば済む状態でもなかった。DECNET、LAT、AppleTalk (EtherTalk) などが飛んでおり、普通に使っていた。マルチプロトコルをマトモに扱うには LAN Emulation を待つほか無かったが、到底安定稼働は望めないと判断した。それらのプロトコルがどれもIPに収斂していくのはもう少し後のことだ。

*1 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcul/54/0/54_1021/_pdf

神戸大に移り、そこで見たもの

この予測は恐ろしいほど当たった。僕は 1995年11 月に神戸大学に移ったが、ほどなくして総合情報処理センターに移ってきた岡村さんのATMとの格闘を見ることになった。どえらいことだった。神戸大はすごい頑張って ATM (それも LANE) を動かしていた。 血の流れるような努力で何とかかんとか動いていたが、それでもよく刺さっていた。あんな運用努力、後にも先にも見たことが無い。まるで研究ネットワークで、実用ネットワークとしては許されるものでなかった。

神戸大は(共通の)キャンパスネットワークの整備が遅く、1993年補正予算が最初だったようだ(*2)。このKHAN94では FDDI と ATM(OC3) を利用したとある。 はじめ学情との接続にATMを使ったのかと思いきやOC3 (155Mbps) は速すぎる。KHAN94向けの資料(*3)によると、学内LANの「超高速」基幹部分をATMで組んだとある。PVCであろうと思われる。ところが当時はさすがに怖かったようで、「高速」基幹部分をFDDIで組み、ATM部分の障害時のバックアップ系として使うとある。(AppleTalk等マルチプロトコルのため、ともあるが。) ここまでは良かったろうが、1995年補正予算のKHAN96では ATM を更新するだけでなく LAN Emulation で動かそうとした。PVCに退歩することなく、何かあったら刺さりまくる LANE を動かし続けた岡村さんには敬意を表したい。

*2 https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=66303&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1

*3 http://www.istc.kobe-u.ac.jp/activity/mage/m22/22_network-system.pdf

神戸大はどうしてそこまで LAN Emulation に突っ込んだのか

以下にKHAN-96 仕様書(縮小版)がある(*4)。p.67で調達目的の冒頭に「ネットワーク基盤上でのマルチメディア等の高度利用設備の整備」が謳われている。当時マルチメディア対応がキーワードだったことが窺える。(そう書くことでATMで出せたのだよ、という見方もあろうが。。) そしてLAN Emulation に突っ込んだ理由は同p.67に「安定稼働の実現には大学側に置いても多くの努力が必要となることが予測されるが、新しい時代における総合大学としての責任を果たすために、敢えてその導入を選択する」と謳われている。すごい。

この神戸大の悲壮?な決意は当時おかしなものでは無く、ATM を LAN で動かす、というアイディアは神戸大だけではなく全体的なものだった。 つまり多くの国立大学(と私立大学)がこの補正予算に飛びついて ATM を導入し、特に動かない LAN Emulation に管理者たちは文字通り七転八倒した。

*4 http://www.istc.kobe-u.ac.jp/activity/mage/m25/25_Report-17.pdf

学術情報センターの視点

1995年当時、学術情報センターは広域接続に ATM を用いていたが、このことに僕はほぼ疑問をもたない。なんとなれば当時 100Mbps over の広域データ通信に使える技術は ATM くらいしかなかった。そしてATM なら OC-12 (622Mbps)が見えていたから、ATM を選択することに不思議はない。 ATMのマルチメディアへの適合性や、将来は電話とデータ通信が融合し、そこでは QoS が重要になるから、という筋書きもまあ拒否的な人は多く無かったと思う。WIDE 周辺でも DiffServe なり QoS の研究は盛んだった。 この広帯域とQoSが当時のキーワードだった。

1996年の資料(*5) p.35 あたりに、学術情報センターのそのあたりの認識・展望が見える。 学術情報センターは1993年(H5)に「学術研究支援のための超高速情報通信網の研究開発」を行っている。翌年から学術情報センターはATM交換機による接続を始め、1995年には学情ネットの全ノードがATMとなった。

「ATMは(中略)データだけではなく音声や動画像の伝送が出来、今日のマルチメディア通信に最も適合すると考えられている」 「ATMを学内ネットワークを採用すれば、ワークステーションを超高速インタフェイスで接続することができ、情報のアクセス速度が高まると同時に、良質の音声や動画像の処理にも不都合が生じない(安田註:これはATM NIC での直結を意味している)」 としたうえで、 「講義や大学病院の診療にも活用できる学内ネットワークへと高度化していく」ような未来を描いており、QoS のことを多く述べている。

その上でQoS 自体が未完成であり、また「遠隔の研究者と一体化したLAN運用(バーチャルLAN)」など新しい応用の検討など多くの課題が残されている、とある。 このQoSや「新しい応用」などには ATM 網と LAN 網の接近あるいは融合が重要なことは自明なので、神戸大のように LAN Emulation を何としてもやるんだ、という姿勢として実装されていったのかなあ、と思える。

*5 https://www.nii.ac.jp/userdata/CNEWS/PDF/No35.pdf

ただこの資料(*5) にも NTT の名前が「マルチメディア共同利用実験」などにくっついてたびたび挙がっていることと、「電話とデータ網が一体化して(データ網の欠点である)QoS がマルチメディア応用とともにデータ網に搭載されるのだ」という筋書きが余りに電話屋臭い話なので、岡部先生が「ああやっぱり通信屋さんは間違えた」と言うような話しになってしまうんだろうなあ、と思える。

1998年補正予算

1993年の補正予算でATMを積極的に取り入れたがPVCでしか動作させなかった阪大らは良かった。しかし上に書いたような動機で1995年の補正予算でLANEを仮定して多くのATM機器が導入されたところは違った。1998に会計検査院がそれら設備の利用率の低さを指摘したからだ。 現場では動かないLAN Emulationに七転八倒しており、当初想定していた「新しい応用」のためにend stationを直結する25Mbps ATM NIC などが安くなったわけでもないから、ポート利用(接続)率が上がらないのは当然だった。多くの大学で再度補正予算による追加設備導入が行われた。

この状況で、僕は1999年の4月から京都大学の研究所に非常勤(兼任)で通ったが、まさにそこにATMにつながれているだけの「浮いた」L3スイッチを見た。僕はそれをほとんど使うこと無く、研究所向けのネットワーク環境をKUINS2の中に作った。具体的にはFirewall-1を導入してスタッフのPC群をその下に収容した。 やはり1999年補正予算で機器を追加導入してATM環境を整備した京大の中で、ポート利用率向上に貢献しない判断をしたのは「空気を読まない」行動だったかもしれない。 2000年か、もうしばらくまでATM関連はこんな調子でドタバタした。

結局なんだったのか

この世界的に見ても特異と言える日本でのATM熱は何年かかけて収束というか放散し、Gigabit Ethernet などに置き換わっていった。

あの頃ATMを引っ張り上げた(あるいはLANに近づけた)のは「広帯域とQoS」だったと思う。しかし QoS は未だに(インターネットワイドでは)実現されていない。むしろ(Best Effortな)帯域の拡大がほとんどの問題を押し流してしまった感がある。 もちろん帯域をどれだけ拡大してもコンピュータ間のトラフィックが bursty なことは変わらないから、やはり遅延保障・帯域保証がないために残される問題はある。

しかしそれらはほぼすべて、ユーザが出来の悪いシステムに慣らされた結果、問題とされなくなってしまった。 デジタル携帯電話の遅延。MP3圧縮音声。スマートフォンでYouTube。 僕ら80年代コンピュータっ子は、未来はメディアリッチな世界になるんだ、と思ったが、現実はそうでもなかった。 人々は日々劣化するメディア体験に容易に慣らされていった。 ATM もメディアリッチな未来図からの落伍者だったのだろうなあ。



Yutaka Yasuda

2018.10.16