たまに自動運転車が僕らの生活をどういう風に変えるだろうか、と考える。いろいろと面白い妄想が出来るので、今のうちにざっと書いておく。
これは Sep. 17, 2017 にズラズラと書いた post をまとめたものです。
https://www.facebook.com/yutaka.yasuda/posts/10211588920891466
自動運転車は呼べば自分の居るところに来くるので、今のタクシーのように使われる。なお今のタクシーシステムでは運転手の人件費が車体や車のランニングコストより遥かに高いだろうから、かなり安価になる。
いま自動車を所有して使うモデルになっているのはタクシーが高く、拾うのに時間が掛かるからで、そこが解決すれば皆自動車を所有しなくなる。
これが強く効くのは都市部だから、自動運転車を共有して使う利用形態は都市部から広まる。 と、こんな感じで断定的に書いていくけど、すべての表現には「主として」〜〜「だろう」が付いてるものとして読んでくださいませ。
つまり「所有する人がある日突然ゼロになる」とか「いつか完全にゼロになる」とかいう話ではない。
例えば今でも馬に乗る人は居る。移動のためにクラシックカーを使っている人も居る。その変化は緩やかで、完全にゼロになるのが「いつ」か、は、人々の生活の主たる部分がどうなるか、といったこととは余り関係がない。
セットでやってくる必然性はないけれど、電気自動車にとって自動運転はとてもうまく合うアプリケーションなので、これはセットで普及する。
どちらがどの程度相対的に先んじるか(普及の牽引に貢献するか)は余り気にしてない。後から見た時に、この二つがセットで普及したなあ、と言えるくらいの「セット感」が出るだろう、ということ。
Yosuke Hasegawa : 自転車のようなパーソナルユースが増加する。運転が苦手だからと車を所有しなかったり運転を避けていた人も車を積極的に利用するようになる。自転車がわりの日常の足としての自動車は今以上に保有され続ける。
Yutaka Yasuda : コメントありがとうございます。問題は価格ですね。 いまの原付くらいのサイズと価格であれば、そのようになると思います。
Akinori Saitoh : 長距離トラックのブラック労働問題がなくなる?
Yutaka Yasuda 都市部の乗用車サイズの自動運転車(個々人のモビリティ)と、トラック配送は別個のターゲットと思いますが、まあ、自動運転が根元的な解決法の一つだとは思います。
電動になろうとガソリンで走ろうと、いまの乗用車サイズの車が door to door な移動に便利なのは変わらない。ただ 500Km といった長距離移動をそのような車で実現しなければならないわけではない。
長距離移動はいまの電車に相当する、大規模つまり大量・安価な輸送システムで実現するのが効率良い。つまり door to door の最初と最後は今の乗用車サイズの自動運転車が行う。 ユーザは小型の自動運転車に乗り、それは高速道路上で電車的システムにランデブーし、ユーザは乗り換える。コンテナのようにキャビン?(シートと荷物スペースを含む)ごと載せ替える手もあり。 目的地近くで再び小型の自動運転車とランデブーし、それに乗り換えて目的地に行く。 こうすると乗用車サイズの電気自動車に長距離走行能力は要求されない。航続距離はいわゆるシティ・カー程度で良く、充電を急ぐ必要も無い。
Akinori Saitoh : レンタカーでは乗り捨て割り増し料金がありますが、自動運転シェアードカーではそういうのはなくなりそうですね
Yutaka Yasuda : どうでしょうね。帰り道に誰も使って貰えそうに無いところで乗り捨てたら、幾らか高めに課金しても良いとは思います。いろいろ細かい制御が効くと思います。
Akinori Saitoh : 中国のシェアード自転車は乗り捨て料金はなくて運用されているようです。
Yutaka Yasuda : 「いま」出来ることと、「最終的にこうなる」デザインが同じでないことに僕は余り違和感がありません。 僕がここに書いているのは、現状から、いつまでに、どの程度まで、どうやって、そこに到達するか、を無視(と言って良いほど軽視)しています。 (というわけで、いま、中国で、特に都市部で、自転車で、実現しているその方法が、どのくらい有効で、どのくらい問題があり、それが自動車での運用にどの程度参考になるか、をここで考えることはしないでおきます。。。。(o!) 余りにも条件が異なる、とは思いますが、まあそれも含めて。)
Hirotada Ueda : 「自動運転 長距離」で検索したら、こんな記事がヒットしました。 https://response.jp/article/2017/07/19/297571.html ご参考まで。 これを読んで、僕は、やはりドアツードアは、そのまま家の延長であって欲しい、その中でくつろぎながら最終目的地まで、何もしないで行きたいというイメージかなぁと思いました。 とすると、やはり「高速道路上で電車的システムにランデブーし、ユーザは乗り換える」という考え方には抵抗を感じる、僕のようなタイプの人も少数派とは言えないのではないかなと思います。 「電車的システムにランデブー」するとき、もしかしたら、フェリーのようなシステムとか、そのまま数珠繋ぎにして、パワーのある牽引車で引っ張る(架線からの給電でもいい?) というような解決方法もあるのかも知れませんね。
Yutaka Yasuda : コメント有難うございます。 電車的なシステムにランデブーしたときに、車台ごと積み込むのか、キャビンだけ積むか、人が荷物をもって乗り換えるか、まあいろいろ選択肢はあると思います。で、そのどれにするか、あるいはどれでないと受け入れられないか、といったことには僕は余り関心がありません。つまり価格の問題だと思うからです。 いまの現実世界でも多様な選択肢が共存しており、その多くはカネの問題だと僕は理解しています。 つまり「くつろぎながら遠距離を何もしないで快適に」行けた方が「より良い」というのは僕もまったく同じですが、それはカネがあれば、です。乗り合いバスを使う理由は、それが安いから、だ、と。
Akinori Saitoh : 自動車専用道だけならOK、な自動運転さえ実用化されればかなり長距離移動が楽になります。たとえば僕が伊丹空港に移動する経路の9割以上が自動車専用道。高速道路は退屈なだけなので自分で運転したいとは思わないし。
なお電気自動車でよく航続距離が問題になるが、航続距離を伸ばすことは実際上難しくない。つまりバッテリーをたくさん積めば、航続距離は伸びる。難しいのは普段の短距離利用との(効率の良い)両立だ。 両立が必要なのは「たった一台しか所有しない」からで、これはつまりカネの問題だ。所有せず、共有して使い分ければ良い。航続距離の問題は消える。
もちろん経路の途中でバッテリーを交換する、という方法もあり得る。500Km といった長距離移動の多くは高速道路的な経路で為されるだろうから、ところどころに交換ステーションがあれば良い。
ただ、僕は 500Km といった長距離の移動(5時間!)は先に挙げた電車的なシステムとの接続で果たされると考えているので、交換ステーションを使って小さな車に長距離=長時間乗り続けることはあまり魅力的でない。
もちろん多様な選択肢が生まれるはずで、それ自体否定する意味は無い。ただ、自動運転の電動車はいまの乗用車よりパーソナル性が高く、小型・短距離志向のものが主流になる。今の軽自動車より小さく、軽くなる。それで長時間乗るのはイマイチで、長距離を走るときはもう少し大きな車体のものを使うと思えば、その長距離用の車は 500Km 程度なら普通に単体で走れてしまうから、、、というわけで、バッテリー交換所で 200Km おきに交換する、といったソリューションは僕の全体像の中では据わりの良いものにならない。
Akinori Saitoh : 今だと、「列車&レンタカー」だとコストが高くて、そんなんなら自家用車で行く、となってしまいますね。シェアードカーが安くなれば、現地でのモビリティのために自家用車を遠方に持って行く必要性はなくなりますね。
Yutaka Yasuda : 僕の想像するゴールは、いまの電車・トラック・自家用車・レンタカー・タクシーの境界がなくなっていくことです。
この種のことを考えるとき、僕はいつも単体としての自動車が電動あるいは自動運転になったときのメリット・デメリットではなく、システム全体としてどうなるか、を考える。
今現在の自動車も決して単体の機能として実現されていない。僕らは道路を舗装し、信号をつけ、車道・歩道を整備し、法律を用意し、教習所まで用意し、それでも無くならない事故で大量の裁判で揉め続け、教育や保険制度まで動員しながら社会システムとして調整した。ガソリンの供給も給油スタンドだけでも「よく整備したなあ」と思うが、それ以上に採掘から輸入までの経路は戦争込みの政治・外交努力を積み上げて実現している。これだけのことを僕らはやってきた。社会を変えるモノというのはそういうものだ。
昔、馬車を自動車に置き換えると言い出した人に向かって、ガス欠や故障の不安、果ては馬関係のビジネスどうするんだと言った人が居たに違いない。
Hideto Nakayama : 都市部でバスを長ーくして(500mぐらい)完全自動運転にしたら便利…んで都市部では車の税金を100万円とかにして、バスは完全無料化とかどうだろう…妄想中…
Yutaka Yasuda : 500m というのは考えた事が無かったです。ざっと新幹線が 400mだそうで、それはなかなか面白いアイディアと思えます。
Hiroyasu Kamo : 自家用車がないと生活できない地域が拡大中ですが、その自家用車を自動運転タクシーに置き換える用途がありえますね。
Miyazaki Morihiro : ランデブーするパーソナルコミュニティには、そのまま飛行機に乗れるほどのチェックイン機能がついて、そのまま待ち時間なく飛行機にも乗れる。アメリカとかであればテロのリスクも考えて。。。とか。。
Hiroyasu Kamo : 奈良県の南部に住んでいて大阪に通勤している人で、駅まで自家用車で行って、駅前駐車場に置いて電車に乗っている人がいます。これなんか、駅前に自動運転タクシー配車拠点を置けば、乗り換えてもらえそうです。自家用車の維持費と駅前駐車場の料金の和よりも、自動運転タクシーを安くすれば良いのですから、無理はなさそうです。
自動運転車によって渋滞が極端に減る、という話がよく挙がるが、それは車車間通信を前提とした制御や走路上の車両の充填密度向上といった文脈だと思う。が、それにしても過剰に混んでしまえば破綻する。つまり最も効くのはトラフィックコントロールで、誰がいつどこを走るか調整することができれば、事前に「渋滞しない」ことが決まってしまう。
つまり行政は全体システムの制御として、自動運転車の走行経路を最適化する。ユーザにはそれを受け入れることで幾らか税金控除を与えれば良い。「受け入れない」選択そのものを有料化しても良い。
既に nest が電力会社とバーター取引してピークタイムに設定温度を下げる全体制御を受け入れる仕組みを実現している。自動運転車は、行政などにとって「人流・物流」を「プログラム可能」な「都市設計の部品」にするものだ。今までノドから手が出るほど欲しかったそれが手に入る。多くのことが起きるだろう。
渋滞だけでなく、信号もまた無くなる。交差路に侵入する以前にすべての車の進路、タイミングは分かっており、すべてを衝突しないようプログラムすることができる。 比較的空いている道なら普通にできる。「何故」か交差点に近づいた「そのとき」、「ちょうど」対向車に間隔ができており、一時停車なしに「するすると」右折できてしまうのだ。いつでも。 混んでいる道でもできるはずだ。少なくともこのくらいはできる。
https://www.youtube.com/watch?v=UIthEM6pDqw Crazy intersection / Where??? Maybe China or India… / YOUTUBE.COM
Akinori Saitoh : それは、自動運転ではない歩行者や自転車が居ない前提ですね
Yutaka Yasuda : はい。そうですね。 (できるだけ遠いゴールを想定すると、それに対するハードルが見えるので、そこをどう解決するか、を考える方向です。問題(副作用)を先に考えすぎると、つい、ゴールそのものを早期に諦めてしまうので)
Akinori Saitoh : 遠いゴールといえば、VR技術が進んで在宅勤務が減り、そもそも会議くらいでは出張しなくなるので人の移動が激減するとか?
Yutaka Yasuda それもあります。(ただし出張よりも通勤、で考えています。出張者が減ったところで都市部のクルマ移動全体で見れば大きなインパクトはない。) なお現在の外出の目的のかなりの部分を(通勤含めた)移動が占めていると思うので、そのケースでは外出自体が減る感じと思います。その代わり個人が外出ついでに担っていた物流のかなりの部分が自動運転車(地上走行のドローン)で行われる。 コイツの基本技術は人間の移動のための自動運転技術とインフラがそのまま使われる、と言うのが僕の想像です。
人流と物流、と、上の方に書いたのはそう言う意味です。 僕のゴールの一つには、この、人流と物流の境界をなくす事も含まれています。 (フュージョンもある。つまり最後の30m、例えば集合住宅前の道路から目的の部屋の前まで運ぶのはロボットではなく、そのクルマで帰ってきた隣人だ、など。ピギーバックですね。)
以上、またあとで書き足していくかもしれない。 2017.9.24 投稿。
2017.09.24