林さんの「あるソフトウェア工学者の失敗 日本の IT は何故弱いか」を読んだときの感想など。
2015/11/10 に林さんの以下の blog 記事を読み、自分のタイムラインにバラバラと書いたことの再掲。残すべきだと思ったので Note とする。(若干の修正あり)
あるソフトウェア工学者の失敗 日本の IT は何故弱いか
林晋 京都大学文学研究科
http://www.shayashi.jp/myfailures.pdf
きつい、重いことが書かれているが、しかし、まっすぐ、読みました。書いてくれた林さんに感謝します。社会を変えるために学生を育て、送り出しても、社会に出たら水を掛けられ、次々撃墜されてしまう、というくだりは読むのも辛いところでした。
“その(特攻機の)操縦席には若者たちが座り、そして、その背景には、それを送り出した上官たちがいる。自分たちは、その上官と同じことをしているのではないか。”
とまで林さんは言うてはります。林さんは「若者を特攻機に乗せないために」社会を変えるのが先だ、と言うてはりますが、僕は同じことをまったく逆側に捉えていることになります。
1990年代にまだ一般社会や企業にインターネットがない状況で、僕は大学で学生たちを一足先に「ネット」の海に誘い出して、そこでの人々のコミュニケーションに触れさせていました。何年か先の未来を学生に見せることが大学の(大きな)役割だと信じているからです。
そして彼らが外に出ていくとき、僕は彼らに、君らが世界を変えていくんだ、上司はそれが分からないだろうが、しかし君らが変えていくんだ、と言いました。彼らのどれだけが弾幕を浴びて撃ち落とされたのか分かりません。しかし生き残って、まさに企業を引っ張っていってる卒業生も居ます。そして僕は双方の数を数えて評価する、つまりスコアをつける事をしません。
なぜなら当時、僕も大学の中で「決して認められない」インターネットを、組織の中から何とかして立ち上げようと地下活動していた一人だったからです。あの頃、多くの人たちがそのようにして各組織の中で活動していました。テロ組織が工作員をあちこちに送り込むように僕は卒業生を社会に出していたことになります。僕は何とか撃ち殺されずに、僕の職場でネットワーク・サービスを立ち上げることに成功しました。多くの方に助けて貰えたからです。
林さんと僕で真逆の捉え方をする理由は、恐らく生物について、その系の存続と個体の生存のどちら側の視点で進化を目撃するか、といったことから来ていると思えます。
ちょっと違う、と言う人が多そうですが、読み直さずに私の記憶(解釈)を元に少し脱線すると、宮崎駿が「ナウシカ」で、そのようなことを書いていたと思います。生き物はそれ自身の命によって生きている。我々は血を吐きながら飛ぶ鳥なのだ、と。
つまり僕は学生に血を吐いてでも飛んでいくのだ、と、20年ほど前に言い続けていたことになります。僕はしかしその後そうした仕事、つまり社会(≒職場)をそのようにして変えていく仕事から離れました。そして自身が同じ立場でなくなったために、学生にもう直接的にものを言う(同じ事をするんだと言う)資格を無くしてしまいましたが、それでも基本的な目線は変えないつもりです。
長く書きすぎましたのでそろそろこの辺で。。。
ともかく林さんの最後の記述が、僕の中ではとても強く響きます。
“私は大学教師である。教師は次代を担う若者たちに何かしらのメッセージを送ることができる職業である。若者たちの、そして、社会のマインドに風を送り続け、いつの日か、この社会の心の薪が乾き、それに火が付くことを夢見て、何十年かかろうと、自分の寿命が尽きようと、だれかが私に代わって湿った薪に風を送り続けてくれることを願いつつそれを続ける。もし、私が日本のIT、いや、日本社会のために何か貢献できるとしたら、それしかできることはない。私は、そう考えて、今日も微風を送り続けている。”
(ここでは林さんも「風を送り続ける」対象を「若者たちの、そして社会のマインドに」と書いてます。つまり、林さん自身、社会が変わらねばと言うにしても、その片方で学生たちもその意気をもたねば、と言うてはる。)
多くの大学教員は、これとまったく同じ事を思い続けて日々働いているはずです。もちろん僕も。
2015.11.15