これから 10 年、20 年かけて、最終的に情報リテラシーを子供達のどの時期に、誰が、どこで教えるか、ということについて社会全体で固めていくことになると思う。
父が子供だった頃はまだ自家用車を持っている人が少なかった。だから父が住んでいた西陣の北端あたり、たとえば北大路通りには車はほとんどなく、その代わりに市電(路面電車)が走っていた。ある意味ノドカというか、そんな時代だったが、それでも事故は起きるようで、父が近所の子供たちと遊びに出かけるとき、母親(つまり祖母)からは「電車に気いつけなはれや」と送り出されたそうだ。
路面電車に歩行者が轢かれるような気は余りしないが、実際、車両には前方足元すれすれにバーが付けられており、その後ろに太いロープで編まれた網が張られていた。誰かが飛び出して来たら致命傷にならないように受け止めるのだろう。
時代が進んで、自営業の父は仕事のために自動車を運転するようになった。当時は免許などあって無いようなもので(実際の制度整備はかなり細かな変遷をたどるようだがここでは追わないし、言葉も免許と雑に表現する)、申請したら貰えたそうだ。 そのうちに免許に試験制度が入ったかなにかで、父は(本人曰く「自主的に」)一旦免許を返納して、その試験を受けて免許を取り直したのだという。昭和40年代、自動車の増加と共に交通事故が激増し、「交通戦争」と呼ばれるようになっていた。
運転者に一定の規制を掛けるだけで無く、社会側も対応した。信号の設置、歩道の整備などなど。免許制度は表面的には運転者を制限するものだが、実質的には教育プログラムだ。もちろん歩行者側に対する教育も必要だった。そうして僕らの小学校に「交通安全教室」がやってきた。「右見て左見て右見て渡れ」と呪文を唱えた。
地域活動として大人も参加したろうが、もちろん主たる対象は子供たちだ。これは子供たちの事故が多かったこともあるが、実際上、マスで大人を教育する効果的な方法が無かったことに注意が必要だ。この状態は情報リテラシ教育、情報倫理教育などと構造的に同じだ。 ぼくらはそうした情報化社会を作るための教育が、まず大学から始まって高校、中学、小学校へと降りていく過程をいま目撃している。 日本におけるモータリゼーションはとても急速に進行したが、ネットの生活への浸潤はそれより遥かに速く進んでいる。それに対応しなければならない。
自動車、つまり交通システムはあれから40年近く経ったが、そう大きく変化していない。だから「右見て・・・」の呪文はいまでも僕の身を守ってくれている。対してネットは二年も経てばテキがまったく変わってしまう。 このアドベントカレンダーも2014年は「子供 × ネット」で、2015年は「子供 × アプリ」だという。
僕らは交通戦争という大きなテキに対して、モータリゼーション自体を拒否せず、未来のために血を流しながら受け入れる道を取った。 免許制だけでなく道路整備や教育、そして保険制度(事故を不可避とした事後の互助システム)まで導入して、社会全体で受け入れた。
僕らはやはりネットを拒否しない。 「去年はネットで、今年はアプリかよー、来年は何が来るんだ一体・・・」と思えるほど変わり続けるテキを相手に、僕ら自身も継続的に変わり続けることでそれを受け入れていくことになるだろう。 アプリ事故任意保険のようなものが当たり前のレベルに達するまで、僕らは社会全体で受け入れる仕組みを作り続けることになるだろう。
いまも大人をマスで教育する仕組みは無いと思える。情報倫理教育は大学でまず行われるようになったと思うが、そこがせいぜいで、それ以降は手が出ていないように思える。 子供を守ることも大事だが、取り残される大人もまた問題だ。僕の世代自身も努力せねばならないが、大きなムーブメントはこの子たちが社会に出て、上の世代を変えていくことで起きるだろう。年寄りはなかなか変わらない。僕らがまず周囲の子供たちを強く、まっすぐに育てなければならない。
これから 10 年、20 年かけて、最終的に情報リテラシーを子供達のどの時期に、誰が、どこで教えるか、ということについて社会全体で固めていくことになると思うけれど、僕らはそれを待ってはいられないのだから。
父は祖母から「電車に気いつけなはれ」と言われて育った。 僕は「車に気を付けや」と言われた。子供たちには「アプリええけど気いつけや」と言うことになる。その一言が掛けられるくらい、継続的に、よくよく教える必要がある。頑張ろう。
(この文章は「子供」×「アプリ」+「α」 Advent Calendar 2015 に投稿するために書いたものです。 2015.12)
2015.12.15