bit従量課金

もう書いても良いだろう。従量課金制のことだ。

インターネットに関係した研究的な動きの中では、従量制課金は常にネガティブな側面で捉えられてきた。個人的には何年も前からインターネットにおける従量課金を目指してゆっくりと研究しているが、なかなかそうしたアクティビティは少ない。

定額課金で常時接続しよう、従量の課金はネットをできるだけ使わない方向にプレッシャーを掛ける、帯域はどんどん使って、必要なら増やそう。
長らく言われてきたインターネットにおける前進するためのアプローチだ。

しかし「帯域はいずれ広がる」という仮定は正しいにしても、インターネット全体で誰もが帯域に困らなくなるとはとても思えない。もう何年もそういう話(*)を聞くが、実現しているとも思えない。エンジニアとしては、何年も言い続けて実現しないものがあと何年かしたら実現している、とは、そう簡単に考えるべきではない。そもそもこれはまるで計算機相手に「いずれ処理能力は上がる」から「誰も計算資源に困らなくなる」というようなもので、少なくとも数年ではそうならない可能性がむしろ高い。

*) よくある「ジャブジャブ」使えるようになる、という表現はつまり絶対的に N Mbps 使えるという意味ではなく、供給される帯域幅 N が需要である必要帯域幅 M を大きく上回るという意味と解している。それも平均的ユーザの可処分所得の範囲内で。

私の従量制課金研究の目標は「効率の良いビットの使い方をする」「ビットの無駄使いをしない」ということにある。
そのために眼前にあるアプリケーションのプロトコルを改善する事も重要ではあるが、私は「トラフィックはユーザが出せと言ったらもう打つ手はない」ということを前提に、ユーザに無駄な振舞いをさせないように働く、万人に効く薬はないかと考えている。そしてそれには経済原理が今のところ適切に思える。これがビット従量課金だ。

電気が従量制課金でなくなったらどうなるだろう。僕は家の空調を付けっぱなしにするだろう。たとえ外出中でも。
水が従量制課金でなくなったらどうなるだろう。僕は家の中に瀧を流すだろう。たとえ一週間の出張でも。
これが文化的な暮らしだろうか?定額課金のネット利用は、これに似た事にならないだろうか?それにプロバイダは耐えられるだろうか?

ビットを安くで買えるようになる事自体はいいことだが、エンドの帯域幅の増加とアプリケーションの変化によって、サーバなどの集中点や、経路にかかる設備は爆発的に費用がかさむ可能性がある。現在の技術と産業の動向から推して、エンドの処理能力と集中点の処理能力の差がそれほど出ないことはほぼ明らかだ。PCとハイエンドのサーバマシンのように、価格差と処理能力差のギャップはますますひらき、集中側の設備費用はますます高くなるだろう。
そして新しく帯域を要求するエンド向けアプリケーションなど幾らでも考え付く。(例えば『カメラサーファー』参照)これは技術と人間の欲の闘いだ。どちらが勝つだろう。

ビットは決してタダにはならない。広告で費用をまかなうからネットはタダになると言った人もいた。付加的商品販売でペイするからネット端末(PC)もタダになると言った人までいた。どちらも深慮の末の結論ではないだろうが、それにしても実現しそうにない。テレビも電話も自動車も僕にタダでくれるひとはいない。(『メディアがビットをただにするか?』でこの件については少し書く。)

ビット従量課金をすることによって、設備費用を皆で効率良くシェアすることができる。そもそも課金とは費用分担のことだ。

現在、定額課金の状態でブロードバンド革命と言いながらエンドの帯域幅を上げたせいで、プロバイダの対外接続線が特定小数のユーザに使い尽くされてしまって立ち往生している事例が上がり始めた。以前には $20 月額で課金していた US のプロバイダが同じ理由で従量制を採り入れた経緯もある。

どうやって課金するかということについてはいろいろ検討されているが、インターネットらしく、僕は単純に隣の人とのデータ交換量に基づいて隣の人とだけ払えば良いのではないかと思っている。端から端まで従量課金するのは辛い。どのみちインターネットの中央部分(面白いことにインターネットには上流もあれば下流もあるし、真ん中もある。原理はそれらを必要としないが運用上はそうなっている)では課金(費用負担)はもっと別の原理で決まるだろう。

この課金方式についてはまた別に書く。この従量課金をうまく運用する事で、例えばプロバイダは上流のプロバイダに対する回線費用削減のために、主要なコンテンツの CDS サーバをプロバイダ内に置きたがるだろう。また、ユーザも積極的にプロバイダ内部の配信サーバやキャッシュを覗きにいくことで、自分の課金を減らせるだろう。より効率の良いプロトコルや圧縮技術、コンテンツ提供技術が開発されるだろう。
すべてビットの無駄づかいをなくすこと、またそれがエンドユーザの支払額を削減することにつながるような仕組みを作るのだ。

そして従量課金はコンテンツ課金と常にセットで考える必要がある。これについてもまた別に書く。

いずれにしてもしばらく従量課金を検討していきたいと思う。定額課金しか選択肢がない状態で進めばインターネットの未来が歪められる可能性もある。自由な選択肢こそが技術をまっすぐに伸ばす。誰かが本当に従量制課金を必要としたとき、誰も何も手を付けていないでは全体として困るだろう。
もちろん今は個人的には全く信じられないが、定額課金だけでネットが進み、本当にビットがタダになったとしたら、それはそれで良いことだ。



Yutaka Yasuda

2001.06.12