デジタルテレビ放送が始まる。これが進歩なのかどうか僕にはわからない。
ニコラス・ネグロポンテは『Being Digital』で、デジタルテレビのフォーマットを決める時に旧来のテレビとして考えるのは愚かだ、と、もう何年も前から警告していた。フレームレートや画像サイズなどを決めるのはデジタルの世界では無意味なのだ、と。しかし現実にはデジタルデータ転送のフォーマットだけを決めて、番組フォーマットについては自由にする、というような妥当な判断はなされず、やはり現実にはフレームレートなどが詳細に決められてしまった。彼が予測した通り、ただ 4 倍のチャンネル数を確保できる電波の使い方としてデジタルテレビ技術は実現されるのだ。
これが進歩とは僕にも思えない。
大切なのは自由である事だ。そこに人間の知恵が活きればいい。それが将来のインフラが当てにしていい最大の財産なのだ。フォーマットがそれを制約してはいけない。陳腐な標準は要らない、と村井純氏は何年か前のIP Meetingの講演で話していた。現行のデジタルテレビは、きっとそれになるのだろうと思う。
1999.09.09