『iModeの着地点』に示した視点はかなり夢想的な話かも知れない。以下に逆に単純に技術的な視点を示そう。
Keywords: [ iMode ]
制限の強いユーザインタフェイスをもった情報端末についての僕の思考は、その逆のインタフェイスが出発点になっている。パソコンと言うメディアリッチな端末についてである。短絡的な解釈では、将来の端末はこうした表現力とインタフェイスを持ったものになるのではないかと考えがちだ。だがそんなはずはないと僕は考えている。
例えばSHARPだっただろうか、固定電話機に液晶板とタッチパネルによるWebブラウザをつけた製品があった。これが将来の端末機の姿かというと、僕にはとてもそうは思えない。そして予想通り、この製品は消えてしまった。
僕の目から見て、フルスペックのWebはパソコンのような自由度の高い環境でのみ実行され得るアプリケーションだ。多様なWeb制作者は表現側の自由度の高さを強く意識している。
電話機に要求できる表現力がそれほど自由度の高いものでない限り、フルスペックのWebを電話機で処理させるのは使いにくさを生むだけのことだ。同じ不自由さはSEGA SaturnなどのゲームマシンによるWebブラウザで容易に体験できるだろう。それはCPU速度が遅いとか画面が小さいと言ったリソース的な問題とは別次元に原因がある。つまり重要なことはターゲットにあわせたアプリケーションの作り込みなのだ。
電話機に要求できる表現力が将来的に非常に自由度の高いものになると考えるのは無茶だと思う。電話機ではない、電話機なみに誰もが使う端末の自由度が、非常に高いものになるとも僕には考えられない。
パソコンですら、その利用者の裾野が広がるに従って、メディアリッチになりながらインタフェイスの自由度が下がる傾向があるではないか。(このユーザインタフェイスの単純化傾向については『より単純に』でまた書くことにする。)
ネットは僕達の身の周りに溢れていくだろう。しかし重要なのはネットの端点に接続される端末だ。ネットが溢れる時には、端末も溢れる。それはどのような姿をしているのだろうか。今僕は一日の多くの時間を、ネットとパソコン端末とともに過ごしている。ネットが町や家庭に溢れるのは歓迎だが、パソコンが溢れるはずはない。
そこでユーザが最も多く向き合う端末とはどのようなものだろうか。iModeのようなものは、どこまで通用するだろうか。
そこに注目したい。
最後に瑣末なことだが、僕はiModeのような電話に結び付いた環境について、音声インタフェイスにも期待している。つまり先に示したように、途中で音声の対話による作業も行なえる。もちろん対話の相手が人間である必要はない。小量の文字列入力ではキーボードに代わって音声入力を利用できる可能性もあるし、最近駅の切符自販機でやっているような「高槻駅から東京までの新幹線、指定席も付けて」というような、選択肢の羅列だけではない操作にも使えるだろう。
1999.04.26