非常に機能を制約したWWWであるiModeサービスが発表された。僕はこのシステムがどこまで広がるか、その可能性を考えている。
Keywords: [ ポケットベル, iMode, WWW ]
iModeサービスが始まった。聞くところによると独自規格を含めた機能制限版WWWサーバと、携帯電話に組み込まれた端末ということらしい。しかし僕はこのシステムに妙に興味をひかれている。
上記の定義でいくと、iModeが携帯電話に結びつけられている必要はない。例えばホテルの空き部屋状況を検索、最後に直接電話して対話で申し込み、と言うような利用法でも、それが固定電話であっていいだろう。
つまりiModeのほぼ全てのサービスは固定電話でも利用価値があると言うことになる。もちろん今のiModeサービスは、課金も含めてデジタル携帯電話のデジタル通信路と密接に結び付いて機能している点にアドバンテージがあるとは思うが、これをISDN網の上に実現できない理由はないように思う。
コスト問題などはあろうが、今回はそうした泥臭いところを置いたまま、可能性についてだけ考えてみたい。つまり非常に制限されたユーザインタフェイスは、情報端末としてどこまで利用価値があるだろうか?僕はこうした時にポケットベルのことを考えずにいられない。
ポケットベルは非常に限られたインタフェイスしか持たないが、高校生たちのコミュニケーションの道具として立派に機能していた。オモチャでも真似ごとでもない、そこには確かに本物のコミュニケーションがあったのではないか?
僕はビデオゲームをほとんどやらない。特に反射神経ゲームではない、ストーリーのあるゲームを全くやらない。そこには現実感が感じられないからだ。しかし今の大学生、高校生あたりから下の世代は、そこに僕が小説や映画を通じて感じるような現実感を得ているように思える。
僕にはフェイクに見えるゲームの中に、彼らは僕には見えない現実感を感じているのだ。彼らにはそれはホンモノ、真実なのだ。
だとしたら僕には見えないポケットベルの対話にも、彼らのホンモノのコミュニケーションがあるのだと思う。
彼らにとってiModeがどのような道具になるのか、僕は非常に興味がある。これは彼らがテン・キーで文字コードを打鍵できるからという訳ではない。(これについては『ユーザインタフェイスなんて要らない』でまた書く。)
彼らはどのような使いみちや価値をここに見出すだろうか。僕は彼ら、または未来の彼らのセンスに期待しているのだ。
ただ、携帯電話の普及によってポケットベルの利用者が激減し、ポケットベル会社が倒産しつつあることは見過ごしてはならない。PHSも同様に利用者が爆発し、激減した。新しい世代の利用者の嗜好の変化に産業側、経営側が振り回されているのだ。知人の研究者が「5年後、10年後の姿を今見せて欲しい」と言っていた。切実な願いだと思うが、計算機関係者はもう何十年も前からそう思っていた。世の中の多くの産業が計算機関連産業のように激しい変化にさらされる時代が来たのだと思える。
1999.04.26