ボクラノミライ

僕らが子供の頃に見た未来像と、現在の未来像はかなり違っている。僕らの未来はどこにあるのだろう。

僕らが子供の頃といえば、元旦の朝日新聞にはサトウサンペイさんのイラストとともに「21世紀はこうなる」というような未来予想図が付いていた。当時 1970 年代。高度成長期のさなかであり、未来は希望に満ちていた。
映画『ブレードランナー』(監督リドリー・スコット)はそれに反して暗い悲観的な未来を描き、それ以降のSF映画にはこの傾向が付きまとったが、しかし朝日新聞は楽観的な予想を変えなかった。
僕は『ブレードランナー』をロードショーで見逃したからという訳でもないだろうが、しかし元旦特別号的な未来観をもち続けていた。

この楽観的な未来予想図はTRON計画でも見られた。TRON計画では過去において電化によって一般庶民の生活が一変したのと同じように、生活を電脳化することを考え続けていた。電脳住宅計画などはその最たるものだ。しかしそれらの全てにはコストが掛かる。すなわち好景気な未来でしか実現しない世界なのだ。(僕はTRON計画を全体としては肯定しているし、気持ちとしては応援していることをここでは明言しておく。)

しかし明るく、清潔で、好景気な未来は僕らの目の前にはもはや存在しない。ほとんど解決不可能なのではと思われるような難題が幾つもある。東京大阪間を超音速で飛ぶビジネスジェットは騒音公害と大気汚染で嫌われ、便利の良い都市空港を作ることすら不可能に近い。ゴミがあふれ、環境汚染は進み、花粉症やアトピーに代表されるアレルギー性疾病の増加は僕らの体が徐々に蝕まれていっている証拠と映る。分子生物学は遺伝病を徐々に解明しつつあるが、出生前チェックの暗い影も落とす。
澄んだ空と、ながれる川とともに生きたいと思ってみても、もう僕らは腹の中まで真っ黒に汚れている。

是非もなく、好むと好まざるとにも関わりなく、このような意識が僕らの未来観の中にあることは間違いない。

1999年の元旦号、ついに21世紀の未来予想図の代わりに、2050年の未来像が描かれた。予測可能な 2001 年にはさよならして、更に 50 年後の未来に賭けようというのだ。そこには好景気な未来図はなく、環境と調和した(といっても単に駅ビルが森になっているようなものだが)世界があった。僕らが子供の頃に見た華やかな未来とは違う、暗くはないが、明るくもない未来だ。
これは自然と一体化した生活を明るいと認識できない、というような問題ではない。



Yutaka Yasuda

1999.01.04