長田つづら折りの宴

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96年1月21日、長田神社で「つづら折りの宴」と題されるイベントが行われました。その報告です。ぼく自身の生れ育ったところでしたが、地震の後町を離れ、そろそろ懐かしいような、自分とは関係ないような場所になっていました。去年の初夏に「長田復活祭」というのが行われていますが、市外にでたぼくにはいつ行われたか知ることができなかったのです。

95年1月の地震の後、大阪出身のバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」は電気のいらない楽器を中心として避難所などを演奏してまわった。春までは2日に一度、今でも月2、3回の被災地通いを続けているという。5月の「長田復活祭」にも出演している。
地震から1年がたった今どうして「つづら折りの宴」と題するイベントをおこすことになったのか、ぼくは知らない。当日の中川敬(ヴォーカル)のMCを引用する:「あれだけの人が死んだんやから、これはあくまでおれの意見やけど、沈黙するんやなくて祭りをおこしていこう」
長田は在日韓国・朝鮮人、沖縄・奄美出身者の多い町である。また、ぼくは知らなかったことなのだが、あわせて20を越す国々の人々が住んでいるという。それから被差別部落の問題がある。そのことと長田の復興に対して行政側の働きかけがほとんど(といっていいほど)ないこととは無関係ではない。中川氏らがソウルフラワーユニオンとしてアイヌのことばや様々な民謡のスタイルを取り入れた音楽を演奏するに至った問題意識が被災地での演奏活動や今回の催しに結びついた、という風にいってもいいだろうと思う。

さて、当日のステージは例えば、元ボ・ガンボスのどんとが友部正人と共に登場(ぼくは着いたのが遅くて見逃した、残念)、喜納昌吉&チャンプルーズを脱退した平安隆が尼崎在住の沖縄出身ミュージシャン、三線早弾きチャンピオン・川門(かわじょう)正彦とセッション。
田中康夫(あの「なんとなくクリスタル」の人ですよ)の講演もあった。氏は「昔つきあっていた女の子が神戸の子だったから」被災地回りをはじめた、と冗談めかして語っていた。スクーターにのって長田や西神の仮設住宅を回って物資を運んだりしているのだという。おそらくは住民達の話し相手にもなっているのだろう。
ソウル・フラワー・ユニオンの別動チンドンユニット「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」は三線(沖縄)、チャンゴ(韓国・朝鮮)、チンドン太鼓(日本、多分)など民族色の入り交じった楽器に、サックス(とクラリネット)の梅津和時を加え、大正時代の流行歌や民謡、それに「アリラン」などを演奏した。
とても印象的だったことは、60-70歳台と思われるおば(あ)さんたちが、彼等の登場をすごく喜び、あわせて歌ったり踊ったり、涙を流したりしていことだ。ぼくはその光景をみて彼等の音楽がとても信頼できると思った。いままでにこんなバンドがあっただろうか。音楽にはまだこういう力があるのだということをぼくは再確認した。

最後は平安氏らが再び登場、当日の出演者ほぼ全員と共に「唐船(とうしん)どーい」を演奏して会場に集まった人々を踊りの渦に巻きこんだ。

(1996.2, 1996.8加筆)


当日のプログラム(出演者紹介が「Weekly Needs」Vol.2 No. 7-No.12に掲載されています)

  1. がじまるの会
  2. どんと&友部正人
  3. リクオ&藤原かおる
  4. 平安隆&川門正彦
  5. ソウルフラワー・モノノケサミット&梅津和時"パート1"
  6. 山口洋(ヒートウェイブ)
  7. ちんどん通信社
  8. 石田長生(おさむ)
  9. 田中康夫のトーク
  10. ソウルフラワー・モノノケサミット&梅津和時"パート2"
  11. 朴保&切狂言
  12. 平安隆&川門正彦そして出演者全員カチャーシー

参考:
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