Cinema Review

マトリックス・リローデッド

Also Known as:THE MATRIX RELOADED

監督:アンディ・ウォシャウスキーラリー・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブスキャリー=アン・モスユーゴ・ウィービングローレンス・フィッシュバーン

極めて特異な世界観とその描写でマトリックス世界を描き切った前作に続く二作目。リアル世界の人間都市「ザイオン」に移し、サイバースペースとリアル世界の両方で繰り広げられる人間対コンピュータを前作から更に進化した映像で表現する。

あれから四年も経った。

前作もかなりその臭いが感じられたが、今作で更にアニメーションとの境界が薄くなった。CG とはアニメーションそのものだ。「たかだか」秒間 30 コマ「しか」フレームが無いと分かっているのだから、CG で作成した画面なんてひとコマひとコマ見て、手作業でレタッチしたところでたかが知れている。気に入らない絵を前に、プログラムを書き直して再合成するか、手作業でレタッチするか、まったく公平にハカリに載せて判断するのが当然だろう。

今回大勢に複製されたエージェント・スミスがNEOと格闘するシーンがあるが、まったくゲームの画面を見ているようだった。当然ながら全シーケンスをきちんとプログラムしたとはとても思えず、細部においては相当量がその場限りのアニメーション的レタッチの結晶ではないだろうか。「想像さえできれば、そしてそれを描きさえすれば、アニメーションではそれが現実になる」とは友人 K の名セリフだ。その意味で、本作はよりアニメーションに近付いたと言える。CG で適切にプログラミングできるかどうかなどもはや問題ではない。それをイメージできるかどうかが重要なのだ。

俳優が出てくるいわゆる実写映画とアニメーションとの境界は、年ごとまた日ごとに近付いていっている。『恐竜100万年』『猿の惑星』『エイリアン』『ロスト・チルドレン』『PERFECT BLUE』『TOY STORY』『ファイナル・ファンタジー』などなど、その両端からさまざまな接近が試みられている。本作もそこに足を下ろそうとしている一編だ。

監督は士郎政宗のファンだという。彼らが『BOUNDS』や前作で見せた丁寧な絵づくりと、日本のアニメーションやマンガが求める表現の密度にそうしたコネクションを感じる。手塚治虫は映画が好きで、その手法を採り入れながら現代の「マンガ」につながる道をきりひらいてきたと聞く。それを研ぎすまして日本のマンガやアニメーションは遂にいまの表現にたどりついた。そしてすべての映画はいまアニメーションに近付いている。それもハリウッドの実写映画世界から日本のアニメーション、またマンガ世界へと。面白い流れだ。

あれから四年も経った。

この続きとなる第三作『マトリックス・レボリューション』が冬にはある。ウォシャウスキー兄弟はこの先、どこへ行くのだろう。

Report: Yutaka Yasuda (2003.09.14)


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