Cinema Review

たそがれ清兵衛

監督:山田 洋次
出演:真田 広之宮沢 りえ田中 泯丹波 哲郎大杉 漣、伊藤 未希、橋口 恵莉奈、岸 惠子、尾美 としのり、草村 礼子、小林 稔侍

石高(こくだか)僅かの城づめ下級武士、清兵衛。妻に先立たれ、老いた母、残された二人の娘とつましく暮らしている。定時にはそそくさと帰り、内職をするその姿についたあだなは、たそがれ清兵衛。

見て良かった。山田監督初の時代劇である。まったくの時代劇である。シナリオも、舞台セットも、「がんす」と語尾につける庄内方言も、すべてまるきりの時代劇である。しかし現代劇のような精神的近さを感じるのはなぜだろう。この距離感が感情移入をさせやすくなっていた理由だと思う。

見に行こうと決めた理由はキャストにある。真田広之は現役俳優の中で僕が最も好きな人のひとりだ。若い頃の彼はそれほど気にならなかったが、歳をとってなんだか注目するようになった。サントリーのテレビコマーシャルで「ぜんぜん」と首を振っているあたり、実に良い。
最初に彼を良いと思ったのは何だったろう。『麻雀放浪記』は僕は結局劇場では見ずじまいで、ビデオかテレビ放映で見た。そのせいかこれはそれほど引っかからなかった。やはり『写楽』か。テレビドラマの『高校教師』だったか。

実は宮沢りえも好きだったりする。もう何年も前にひどく痩せて以来、戻らないようだが、それでもその声と空気感が僕は大好きだ。吸い込まれる。本作では酒乱の夫に耐えられず縁切りしての出戻り、という薄幸ぶりが痩せた容貌に良く合っていた。こうした薄幸パターンにはよく合うのかも知れない。女優さんとしては良くないイメージかも知れないが、まあしかたない。

彼女が清兵衛の家にやってきた時、家がぱあっと明るくなったような気がしたものだ、というナレーションが入る。そして本当に彼女がいる家、いない家で空気がまるで違う。違うように写している。これは監督の努力の結実と見ることができる。冒頭から清兵衛の家の様子を延々と執念深く描写した山田監督は、なかなかこだわりのある人なのだろう。はじめての時代劇ということで、そのあたりは時代劇専門のスタッフ(いるはずだ)に任せることもできたろうに。恐らくこのコントラストのために執拗にあの暗さ、つましさを追ったのではないか。

そして、田中泯、だ。恐るべき新人の登場と言っていいか。山田さんすごい人を出したなあという感じ。舞踏家とのことだがパンフレットのプロフィールを見ると農業のかたわら、とある。それがこの土着感、というのだろうか、不思議な印象のもとになっているんだろうか。この剣客には影と、土の匂いがする。血の匂いといってもスパッとカッターナイフで切った時の感じと違う。土道で転んで膝をすりむいた時の匂いがする。

この男の顔は土色に塗られ、けだもののような息を吐きながら真田と死闘を演じる。演出上、一点、ある種の日本映画(高い予算をかけて作られるものに多い)によくある非常にあざとい、余計な伏線があった。鴨居なんか見ちゃ駄目だ。これがなければ良かったのに。。。画竜点睛を欠く、、逆か、点の打ちどころがまずかった。これだけうまく作られていても、切り足りないところがあったのだ。難しい。

山田監督の作品というのを実は僕はほとんど見たことがない。『幸せの黄色いハンカチーフ』をテレビでボーっと見たくらいだ。最後に黄色いハンカチが大量に吊るされているのを見たとき、一気に情感が湧いてきて驚いたものだ。それまでなんとなく見ていたつもりだったのに、ああこんなに僕はこの映画に感情移入していたんだ、と思ったのだ。
今回、本作を見ている間は集中していたのでもちろんそんな余計なことは考えてないが、見終った今になってみると最後に宮沢りえが出てきて画面のコントラストがそれこそぱあっと変わった時、あの感じは、まさに『幸せの..』で山田監督が見せたあの演出だった。このあたりは本当にうまい。

そしてこの作品は、その始まりと同じように、岸さんのナレーションで静かに終る。岸さんは冒頭からナレーションで出ずっぱりなのだが、顔は出ない。それでも聞いた瞬間にそれが岸惠子だとわかる。最後に突然登場しても、なんの説明なしでも、それがいかにも自然に映るのは、実にこの第一声でそれとわかる声の力にある。映画俳優というのはこうでないといけない。

Report: Yutaka Yasuda (2002.11.17)


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