Cinema Essay

東映動画を見るしあわせ

僕は子供の頃から東映動画を見続けてきた。何としあわせな事なのだろう。

子供の頃は東映動画が好きで良く見た。僕は小学二年生頃より小さな時の記憶がほとんど欠落しているので、果たして公開される度に劇場に連れていって貰って見たのか、数年後のテレビ放映を見たのか自信がないが、しかし楽しんで見たのだろう、その内容を覚えている。
先日劇場でリバイバル上映していた『どうぶつ宝島』を見た。これは内容に記憶がなかったので初見のような気がする。今でも充分に楽しんで見られる。郷愁ではない。手加減もない。全く今の作品として、一つの作品世界として充分に楽しめる。

ディズニーの作品も同じ事が言える。良い作品に新旧はない。このことは『眠れる森の美女』でも書いた。映画も小説や他のメディアと何ら違いはない。映る絵の目新しさではなく、その中身をしっかりと作り込む限り、その作品は後生に残り、古典となる。『ファンタジア』が今でも受け入れられるのはそのメッセージ故だ。『ファンタジア2000』にそれがあるかどうかも、あと 10 年もすれば誰の目にも明らかになる。

その意味で東映動画の作品群は、明らかに古典となり得るものだと思う。その直系である宮崎駿の一連の作品もまたしかり。両者をひとつながりのものだと見なしてもいい。既に 30 年を経た『ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』から『カリオストロの城』、そして『千と千尋の神隠し』まで、僕はこれらを何の違和感もなくランダムに並べて観賞することができるだろう。その一つ一つの物語に気持ちが動くだろう。

僕はこれらの作品をほぼリアルタイムで見続けてきた。僕らは一つの文化が生み出される、そのまっただなかを過ごしてきたのだ。なんとしあわせな事だろう。

Report: Yutaka Yasuda (2001.10.28)


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