ライアン二等兵を戦場から呼び戻せとの指令を受けて、職業軍人である大尉は8人の小隊を組み激戦区に向かう。
若い狙撃手役で出てくる俳優が、なんとなくクリストファー・ウォーケンに似ている。彼は最後には砲の直撃を受けてしまう。この映画では多くの命が消えていく。
戦場シーンで衝撃を受けたのは『プラトーン』以来か。『フルメタル・ジャケット』も異様に窒息感のあるシーンが続いたが、これらの作品よりさらに本作はメッセージが感じられず、兵隊の恐怖心と虚無感、怒りを泥のように混ぜた重い感情だけが印象に残る。
スピルバーグは今までヒューマニティを一つテーマに掲げてきた監督だと思っていた。しかし本作では兄弟の最後の生き残りを危険な戦場から救出するというテーマには余り人間性を感じない。構造的な不条理世界である戦争という枠組の上では、それはむしろ不条理な指令として形を現す。そのために何人の命が?誰の命が?誰のせいで?誰のために?
この作品はアカデミーだったかなんだったか、かなり賞を受けたと覚えているが、果たしてスピルバーグはこれで良かったのだろうか。
劇中、終わり頃。通訳係が一度は助けた捕虜を怒りに任せて撃ち殺しても、スピットファイアが騎兵隊のように現れても、観ている僕の心は晴れも曇りもしない。誰も救われない。何かと引き替えにできる命などどこにも、ただの一つもないという思いと、そんな思考を停止させるように肉体が次々に粉砕されていくシーンが、交互に僕の脳味噌を埋めていく。
命のやりとりはここでは怒号と悲鳴と共に行なわれ、泥となって心に積もる。鉄の弾に体を撃ち抜かれても、命を命で埋めても、戦争は止まらない。そいつは死ぬ。自分も死ぬ。僕は戦場に行った事がない。幸せな事だ。