Cinema Review

ブレインストーム

Also Known as:Brainstorm

監督:ダグラス・トランブル
出演:クリストファー・ウォーケン、ナタリー・ウッド、ルイス・フレッチャー、クリフ・ロバートソン

人間の認識を記録し、再生する技術が開発された。そのとき人々はどう振舞うか。近未来SF。

主演は僕の大好きなクリストファー・ウォーケンだ。他にも僕が好きな要素は幾らか以上ある。例えば頭にデバイスをつけて人の脳の感じる情報を直接他の人間の脳に送り込む仕掛けが舞台装置となっているところ。他にこうした雰囲気を感じる作品としては、ちょっと舞台が違うが『アルタード・ステイツ』がある。どちらも主人公は何かを通じて自分自身の深淵に落ちていく。
アルタード・ステイツ』では感覚喪失タンクに入って自分自身にダイブするが、この作品ではデバイスを使って他人の意識に直接触れる事により、他人の中に、またひょっとすると自分の中に落ちていく事が出来るのだ。

こうしたテーマにどうしても僕は魅かれてしまう。クローネンバーグの作品に魅かれてしまうのもこうした一面があるためだと思う。『ビデオドローム』『クラッシュ』などで、恐るべき傾向を持つ人達が映し出されるが、それらはすべて僕のなかの僕だ。『戦慄の絆』を見るとよくわかる。

また、人間の脳と脳を直結したい、意識や思考を直接共有したいと僕はずっと思い続けている。士郎正宗もその作品の中で良くこれについて描いている。人の思考を伝送する手段として、言語は余りに限られた手段だと心底思う。
少し脱線するが言語が限られた能力しかないために、僕らはそれを使って美しい表現を考える事が出来ると言う話もあるだろう。僕にはこの考え方は水墨画的アイディアと映る。日本の、もしくは東洋での伝統的な表現手段として、省略する事による美しさというのがある。大胆に対象物の特徴を切りとって、様式と想像力で補間することによる美しさの強調だ。水墨画や南画などに端的に見られるだろう。言語による省略の極は例えば俳句か。
言語はいかにも限られており、それでもって表現されるものは水墨画のような世界だ。しかしリアルな写真のように自分の思考を相手に伝えたい時もある。現代では風景については写真やビデオと言う伝達手段がいくらもあるのに、思考について、そのディティールを伝える手段はいまもって言語だけしかない。それが悲しい。いつか僕らに言語を超える思考の表現手段が手に入る事を心から願う。

脱線ついでに、オープニングのコンピュータ・グラフィックに注目して欲しい。タイトルバックに出る映像は光学合成ではなく恐らくCGだと思う。1983年はまだCGと言っても殆んど何もできない時代のものだ。しかしなかなか効果的に使われており、好感が持てる。今見ても古びていない。ちゃんと表現の力になっている。
昨日『DINOSOUR』を見た。ほぼ全編 CG を利用しているが、果たして15年後に見たらどう思うだろうか。

そうそう。なんだか面白い自転車が使われている。実際にクリストファー・ウォーケンが乗って走らせてるんだけど、乗車姿勢は『アキラ』で金田が乗っていた未来的なバイクそのものだ。

ちょっとまとまりがなくなってしまったが、この通り、様々な点で未来的で楽しめる作品だと思う。

Report: Yutaka Yasuda (2001.01.07)


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