Comic Review

攻殻機動隊

Also Known as:Ghost in the Shell

作者:士郎 正宗

西暦2029年、ネットが星を覆い尽くし、光がその中を駆け巡るようになっても、国境がまだ無くならない様な近未来を、犯罪捜査の側面から描く。

士郎正宗は僕が最も好きな作家の一人だが、その理由の多くは彼の世界観にある。彼の作品は余り説明的ではなくて、必要最低限を更に下回る程度のシーンでストーリーを進めていく。『アップルシード』や『ドミニオン』でも同じだ。この作品では近未来を犯罪捜査という側面から描く。

僕らの世代の未来観は複雑だ。子供の頃、毎年の朝日新聞の正月特別号が描く21世紀の未来社会は夢と希望に溢れていた。しかしいつ頃からか『ブレード・ランナー』などの様な暗い未来像が描かれることが多くなり、僕らは僕らが直面しなければならない西暦2000年を単純に楽観的に待ち望んでいられなくなった様に思う。僕らが生まれた高度成長期の余韻の残る熱い成功の待つ社会は、すぐに冷戦と学歴システムに縛られた冷たく硬直した社会観が取って代わってしまった。僕らは未来は自分達のものではないと感じてしまっているようだ。
不可避な冷たい未来へと落ちていくイメージは確かに僕らの想像力を大きく支配している。数年前ソビエトが崩壊し、イデオロギーが消え、民族は独立すると叫んだ。ドイツが一つになった夜には時代はまた熱くなるのかと思ったけれど、欧州での民族独立の叫び声は、対立しながら共存する苦難から逃れたかった人達の、より多くの血を呼ぶことしか出来なかった。対してアジアでは泥の様にうねる人間のスープが、しかし確かにたぎっているようだ。

この作品で現われる犯罪はテロ的であったり謀略的であったりするが、それぞれ社会システムや法律、文化の病的な部分と複雑に絡んだ、ある種やり切れない臭いを帯びている。正義もない。真実もない。士郎正宗はよりリアリティーを求めているようにも見えるが、僕には良く判らない。いずれにしても、このような未来を僕達は素直に受け入れることが出来るように思う。それが僕達の世代が持つ、複雑な未来観の具体的なイメージだからなのだろうか。

もう一つの士郎正宗の焦点、「人間の存在の本質について」がこの作品でも描かれている。それは「キカイと部品を交換し続けたとしたら、どこまで人間として認めるか?」という問いに端的に現れる。この作品の主人公は脳と脳幹と脊髄周辺の神経系を残して、残りを人工のパーツと入れ換えている。合成の体の中に自分の脳髄を移植したと考えても良い。これでも草薙素子は草薙素子の反応、即ち記憶と人格を具えており、士郎正宗はこれを人間だと看做している。
そして、逆にプログラムを抱えたロボットに人間と同等な反応が現れれば、それも差別することなく人格のある人間として認め、人権を与えなくちゃねと言う。
更にこの世界では記憶すらプログラムして外部から与えることが可能であり、巧妙に行えば本人に偽の記憶と真の記憶の区別は付かない。つまり記憶に真も偽も無いのだ。勿論視覚を含めて感覚は全て外部から制御可能であるから、つまり仮想現実と現実の差も無いのだ。
自分を、人間を規定する様々なものに割り付けられている、本質的ではない識別境界をことごとく曖昧にすることで、人間の本質は何かと士郎正宗は問うて居る。

従来僕等が自分達の存在の為に使っていた「基点」が存在し無くなった未来世界の中で、それでも自己の存在を士郎正宗は何に求めようとしているのだろうか。この作品の中では「ゴースト」と言う名前でそれ、もしくはその入り口が示されている。僕にはそれが示すものを明確には思い浮かべられないが、安直にそれにすがり付きたくもない。

彼の表現はマニアックと言うか、ディティールにこだわった様なカットが散見されるため、例えばガン・アクションものと見られるかも知れない。勿論それも書き手、読み手共に楽しめば良い要素の一つだとは思うが、それらは士郎正宗世界の本質へ読者が辿り着く為の窓なのだと思う。どうせ士郎正宗の作品を読むのなら、彼の未来世界へ共に旅立とう。幾らか想像力を要求されるが、決して非現実的ではない、僕等の複雑な未来観の一つのすがただと思う。

Report: Yutaka Yasuda (1997.04.16)


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